もうちょっと他のモデルさんで遊んでから、関谷夫人の後編に入ってバラエティーを出したかったのですが、偐関谷まで行っちゃいましたので、後編に入らざるを得ないかなと思いました。
11月21日29に一枚追加しました。
123-01) 関谷富佐子−29
67年10月号の(つい)『竹棒開股笞打縛り』3枚組ではないかと思われます。「これは又珍しい関谷夫人に対して五本の竹棒を用い正面開股の厳しい縛りで笞打ちで悶えさせる。」
これじゃちょっと打ちにくいですがね。
123-02) 関谷富佐子−30
これも同上と思われます。
123-03) 関谷富佐子−31
67年12月号の(めせ) 『鉄砲縛り鞭打地獄』 4枚組かと思われます。
「両手を鉄砲責めにし、その縄尻を両足首に連結して鞭をふるえば許された動ける範囲で女体は奇妙な舞踊を続けて次第に昂揚する。」
123-04) 関谷富佐子−32
上と同じ状態の写真だと思います。
123-05) 関谷富佐子−33
このページ、01,02と同じ場所での撮影です。でも特定は難しいです。
123-06) 関谷富佐子−34
ちらりと見せた関谷夫人の童顔。乳首がピンと立っています。
ちょうどこの頃か少し前、舟橋聖一の「モンローのような女」で、主人公がヌード写真のモデルになるとき、「乳首が出ていない、揉んで出してごらん」とカメラマンに言われて「先生揉んで」 とせがむ場面がありました。週刊文春だったかな? そんなところだけ覚えているんです。
123-07) 関谷富佐子−35
今度は03,04と同じ場所です。当然67年ごろの発売と思われます。
123-08) 関谷富佐子−36
左の太股のお肉が縄に持ち上げられて深い皺をきざんでいます。関谷夫人の肉体が、いかに柔らかくふくよかだったか、よくわかります。
唐土の楊貴妃ほど太ってしまいますと興ざめですが、関谷夫人はきっと柔らかく抱き心地の良い女性だったのでしょう。
123-09) 関谷富佐子−37
右太股の傷は、写真の汚れかお肌に付いたものなのかわかりません。 縛りのポーズを色々変えて撮っている内に、擦れて付いたものと思いたいですね。
123-10) 関谷富佐子−38
竹貼りの壁の部屋での撮影は以上です。
123-11) 関谷富佐子−39
竹の壁の後は木の壁です。竹に木を接いだ感じです。
関谷夫人の67年以降の記事が見つからず、資料に基づく推定ではありませんが、これも後期の写真と思われます。
123-12) 関谷富佐子−40
123-13) 関谷富佐子−41
左おっぱいの傷は、殆ど目立たないぐらいに無くなっています。
123-14) 関谷富佐子−42
123-15) 関谷富佐子−43
123-16) 関谷富佐子−44
よくもまあ、同じような写真ばかり。
123-17) 関谷富佐子−45
123-18) 関谷富佐子−46
123-19) 関谷富佐子−47
123-20) 関谷富佐子−48
ちょっとキャプションの付けようがありません。皆さんコメントで助けて下さい。
123-21) 関谷富佐子−49
板壁の間での作品は以上です。
123-22) 関谷富佐子−50
多分後期の作かと思います。この頃デラックスなモーテルは、こういう斜めに竹を配した内装が多かったのでしょうか?
123-23) 関谷富佐子−51
これは前期か後期か分かりません。次の写真との関係も不明です。
強いて言うなら、髪の毛の長さの点で、やや後期っぽいかな? というくらい。
123-24) 関谷富佐子−52
この上の欄間が竹だったら、121-01〜04 と同じ場所なのですが、違うように思います。
123-25) 関谷富佐子−53
酷く汚れた、斑点だらけの写真でした。
初期の写真だろうと最初は思ったのですが、乳房の傷痕が無い代わりに、大腿部正面に、白ナマズのような、ゼニタムシのような (汚い比喩で関谷ファンには謝りますが) 色素異常が認められます。これは後期の特色ですので、67年以降の作と断じたわけです。
なお、このページの12や13などは、この色素異常を写真の汚れと勘違いして、修正時に消してしまいました。16あたりで気が付いてそのまま残すことにいたしましたが、わたしの勘違いをお詫び致します。
123-26) 関谷富佐子−54
この写真のおかげで、大島照代と混同し、結果的に122頁が生まれることになるのですが、同じ67年ごろの写真と思われます。この時代は、こういう顔をさせるのが流行ったのでしょうか? 「何とか拷問刑罰史」とか、SM映画の影響でもあるのでしょうか?
11PMにSM(この言葉が市民権を得た時代だったかも知れません)が取り上げられて、辻村氏や団氏などが出演したのも、この頃だったかも? 藤本義一さんが司会をしていましたね。「SEXの藤本です」(OXを招いた時)なんて自己紹介をしていました。
SMが大衆化したために、安易に大げさな表情をさせるようになったのでしょうか?
123-27) 関谷富佐子−55
この写真は前編に載せるべきでした。62年12月号のグラビア冒頭を飾った写真と同時期の撮影でしょう。撮影は秋と思われますが、随分暖かそうな靴下で踏んづけられていますね。
これが、63年1月発売の(もろ)でしょうか?『乳房責の苦悶』2枚組。「脂ののりきったコリコリとした固い乳房に加えられる手と足の暴虐の嵐。猿ぐつわに息もできぬくらいの口から洩れる苦悶の悲鳴。」 乳房はふっくらと柔らかそうに見えますが・・・
123-28) 関谷富佐子−56
ね。前期の写真では、左オッパイの傷痕のようなものが目立つでしょう。
畳にビニールのようなものが敷いてあります。(もろ)なら最初期の写真なのですが、この後浣腸責めにでも移行したのでしょうか?
この2枚が後編に入ってしまったおかげで、関谷夫人全56枚の写真が、前編・後編きちんと28枚ずつに納まりました。バンザーイ。
それでどうという意味はございません。30枚と26枚でも良かったのですが・・・
123-29) 関谷富佐子−57
もう一枚出てきました。実は後数枚有るのですが、アップ写真等企画もので出せそうです。これだけが、ここでないと掲示出来ないようですので、追加します。7や8と同じ竹の壁ですが、西日でも当たっているのでしょうか、随分明暗差の激しい印画です。
11月21日29に一枚追加しました。
123-01) 関谷富佐子−2967年10月号の(つい)『竹棒開股笞打縛り』3枚組ではないかと思われます。「これは又珍しい関谷夫人に対して五本の竹棒を用い正面開股の厳しい縛りで笞打ちで悶えさせる。」
これじゃちょっと打ちにくいですがね。
123-02) 関谷富佐子−30これも同上と思われます。
123-03) 関谷富佐子−3167年12月号の(めせ) 『鉄砲縛り鞭打地獄』 4枚組かと思われます。
「両手を鉄砲責めにし、その縄尻を両足首に連結して鞭をふるえば許された動ける範囲で女体は奇妙な舞踊を続けて次第に昂揚する。」
123-04) 関谷富佐子−32上と同じ状態の写真だと思います。
123-05) 関谷富佐子−33このページ、01,02と同じ場所での撮影です。でも特定は難しいです。
123-06) 関谷富佐子−34ちらりと見せた関谷夫人の童顔。乳首がピンと立っています。
ちょうどこの頃か少し前、舟橋聖一の「モンローのような女」で、主人公がヌード写真のモデルになるとき、「乳首が出ていない、揉んで出してごらん」とカメラマンに言われて「先生揉んで」 とせがむ場面がありました。週刊文春だったかな? そんなところだけ覚えているんです。
123-07) 関谷富佐子−35今度は03,04と同じ場所です。当然67年ごろの発売と思われます。
123-08) 関谷富佐子−36左の太股のお肉が縄に持ち上げられて深い皺をきざんでいます。関谷夫人の肉体が、いかに柔らかくふくよかだったか、よくわかります。
唐土の楊貴妃ほど太ってしまいますと興ざめですが、関谷夫人はきっと柔らかく抱き心地の良い女性だったのでしょう。
123-09) 関谷富佐子−37右太股の傷は、写真の汚れかお肌に付いたものなのかわかりません。 縛りのポーズを色々変えて撮っている内に、擦れて付いたものと思いたいですね。
123-10) 関谷富佐子−38竹貼りの壁の部屋での撮影は以上です。
123-11) 関谷富佐子−39竹の壁の後は木の壁です。竹に木を接いだ感じです。
関谷夫人の67年以降の記事が見つからず、資料に基づく推定ではありませんが、これも後期の写真と思われます。
123-12) 関谷富佐子−40
123-13) 関谷富佐子−41左おっぱいの傷は、殆ど目立たないぐらいに無くなっています。
123-14) 関谷富佐子−42
123-15) 関谷富佐子−43
123-16) 関谷富佐子−44よくもまあ、同じような写真ばかり。
123-17) 関谷富佐子−45
123-18) 関谷富佐子−46
123-19) 関谷富佐子−47
123-20) 関谷富佐子−48ちょっとキャプションの付けようがありません。皆さんコメントで助けて下さい。
123-21) 関谷富佐子−49板壁の間での作品は以上です。
123-22) 関谷富佐子−50多分後期の作かと思います。この頃デラックスなモーテルは、こういう斜めに竹を配した内装が多かったのでしょうか?
123-23) 関谷富佐子−51これは前期か後期か分かりません。次の写真との関係も不明です。
強いて言うなら、髪の毛の長さの点で、やや後期っぽいかな? というくらい。
123-24) 関谷富佐子−52この上の欄間が竹だったら、121-01〜04 と同じ場所なのですが、違うように思います。
123-25) 関谷富佐子−53酷く汚れた、斑点だらけの写真でした。
初期の写真だろうと最初は思ったのですが、乳房の傷痕が無い代わりに、大腿部正面に、白ナマズのような、ゼニタムシのような (汚い比喩で関谷ファンには謝りますが) 色素異常が認められます。これは後期の特色ですので、67年以降の作と断じたわけです。
なお、このページの12や13などは、この色素異常を写真の汚れと勘違いして、修正時に消してしまいました。16あたりで気が付いてそのまま残すことにいたしましたが、わたしの勘違いをお詫び致します。
123-26) 関谷富佐子−54この写真のおかげで、大島照代と混同し、結果的に122頁が生まれることになるのですが、同じ67年ごろの写真と思われます。この時代は、こういう顔をさせるのが流行ったのでしょうか? 「何とか拷問刑罰史」とか、SM映画の影響でもあるのでしょうか?
11PMにSM(この言葉が市民権を得た時代だったかも知れません)が取り上げられて、辻村氏や団氏などが出演したのも、この頃だったかも? 藤本義一さんが司会をしていましたね。「SEXの藤本です」(OXを招いた時)なんて自己紹介をしていました。
SMが大衆化したために、安易に大げさな表情をさせるようになったのでしょうか?
123-27) 関谷富佐子−55この写真は前編に載せるべきでした。62年12月号のグラビア冒頭を飾った写真と同時期の撮影でしょう。撮影は秋と思われますが、随分暖かそうな靴下で踏んづけられていますね。
これが、63年1月発売の(もろ)でしょうか?『乳房責の苦悶』2枚組。「脂ののりきったコリコリとした固い乳房に加えられる手と足の暴虐の嵐。猿ぐつわに息もできぬくらいの口から洩れる苦悶の悲鳴。」 乳房はふっくらと柔らかそうに見えますが・・・
123-28) 関谷富佐子−56ね。前期の写真では、左オッパイの傷痕のようなものが目立つでしょう。
畳にビニールのようなものが敷いてあります。(もろ)なら最初期の写真なのですが、この後浣腸責めにでも移行したのでしょうか?
この2枚が後編に入ってしまったおかげで、関谷夫人全56枚の写真が、前編・後編きちんと28枚ずつに納まりました。バンザーイ。
それでどうという意味はございません。30枚と26枚でも良かったのですが・・・
123-29) 関谷富佐子−57もう一枚出てきました。実は後数枚有るのですが、アップ写真等企画もので出せそうです。これだけが、ここでないと掲示出来ないようですので、追加します。7や8と同じ竹の壁ですが、西日でも当たっているのでしょうか、随分明暗差の激しい印画です。
























