昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真 - Japanese Bondage Photos presented by "The KITAN CLUB" in 1951-'75

 昭和のよき時代、奇譚クラブという雑誌がありました。記事に使う目的で撮影した緊縛写真を分譲してくれました。今では滅多にお目にかかれない貴重な品なのですよ。そのオリジナルの緊縛写真のみをアップいたします。 皆様の秘蔵品もよろしければいかがでしょうか・・・。

 偶々手元に置くことになりました約2,000枚に及ぶ、50年代から75年の奇譚クラブの分譲写真を掲載します。なお、P.201 からは奇譚クラブ以外の媒体で販売された写真もご覧いただきます。

October 2010

123) 関谷富佐子夫人の後編

もうちょっと他のモデルさんで遊んでから、関谷夫人の後編に入ってバラエティーを出したかったのですが、偐関谷まで行っちゃいましたので、後編に入らざるを得ないかなと思いました。
 11月21日29に一枚追加しました。 

123-01 関谷富佐子−29123-01) 関谷富佐子−29
 67年10月号の(つい)『竹棒開股笞打縛り』3枚組ではないかと思われます。「これは又珍しい関谷夫人に対して五本の竹棒を用い正面開股の厳しい縛りで笞打ちで悶えさせる。」
 これじゃちょっと打ちにくいですがね。




123-02 関谷富佐子−30123-02) 関谷富佐子−30
 これも同上と思われます。







123-03 関谷富佐子−31123-03) 関谷富佐子−31
 67年12月号の(めせ) 『鉄砲縛り鞭打地獄』 4枚組かと思われます。
 「両手を鉄砲責めにし、その縄尻を両足首に連結して鞭をふるえば許された動ける範囲で女体は奇妙な舞踊を続けて次第に昂揚する。」














123-04 関谷富佐子−32123-04) 関谷富佐子−32
 上と同じ状態の写真だと思います。
















123-05 関谷富佐子−33123-05) 関谷富佐子−33
 このページ、01,02と同じ場所での撮影です。でも特定は難しいです。







123-06 関谷富佐子−34123-06) 関谷富佐子−34
 ちらりと見せた関谷夫人の童顔。乳首がピンと立っています。
 ちょうどこの頃か少し前、舟橋聖一の「モンローのような女」で、主人公がヌード写真のモデルになるとき、「乳首が出ていない、揉んで出してごらん」とカメラマンに言われて「先生揉んで」 とせがむ場面がありました。週刊文春だったかな? そんなところだけ覚えているんです。



123-07 関谷富佐子−35123-07) 関谷富佐子−35
 今度は03,04と同じ場所です。当然67年ごろの発売と思われます。
















123-08 関谷富佐子−36123-08) 関谷富佐子−36
 左の太股のお肉が縄に持ち上げられて深い皺をきざんでいます。関谷夫人の肉体が、いかに柔らかくふくよかだったか、よくわかります。
 唐土の楊貴妃ほど太ってしまいますと興ざめですが、関谷夫人はきっと柔らかく抱き心地の良い女性だったのでしょう。




123-09 関谷富佐子−37123-09) 関谷富佐子−37
 右太股の傷は、写真の汚れかお肌に付いたものなのかわかりません。 縛りのポーズを色々変えて撮っている内に、擦れて付いたものと思いたいですね。













123-10 関谷富佐子−38123-10) 関谷富佐子−38
 竹貼りの壁の部屋での撮影は以上です。














123-11 関谷富佐子−39123-11) 関谷富佐子−39
 竹の壁の後は木の壁です。竹に木を接いだ感じです。
 関谷夫人の67年以降の記事が見つからず、資料に基づく推定ではありませんが、これも後期の写真と思われます。











123-12 関谷富佐子−40123-12) 関谷富佐子−40

















123-13 関谷富佐子−41123-13) 関谷富佐子−41
 左おっぱいの傷は、殆ど目立たないぐらいに無くなっています。













123-14 関谷富佐子−42123-14) 関谷富佐子−42













123-15 関谷富佐子−43123-15) 関谷富佐子−43
















123-16 関谷富佐子−44123-16) 関谷富佐子−44
 よくもまあ、同じような写真ばかり。















123-17 関谷富佐子−45123-17) 関谷富佐子−45








123-18 関谷富佐子−46123-18) 関谷富佐子−46








123-19 関谷富佐子−47123-19) 関谷富佐子−47
















123-20 関谷富佐子−48123-20) 関谷富佐子−48
 ちょっとキャプションの付けようがありません。皆さんコメントで助けて下さい。






123-21 関谷富佐子−49123-21) 関谷富佐子−49
 板壁の間での作品は以上です。















123-22 関谷富佐子−50123-22) 関谷富佐子−50
 多分後期の作かと思います。この頃デラックスなモーテルは、こういう斜めに竹を配した内装が多かったのでしょうか?













123-23 関谷富佐子−51123-23) 関谷富佐子−51
 これは前期か後期か分かりません。次の写真との関係も不明です。
 強いて言うなら、髪の毛の長さの点で、やや後期っぽいかな? というくらい。













123-24 関谷富佐子−52123-24) 関谷富佐子−52
 この上の欄間が竹だったら、121-01〜04 と同じ場所なのですが、違うように思います。














123-25 関谷富佐子−53123-25) 関谷富佐子−53
 酷く汚れた、斑点だらけの写真でした。
 初期の写真だろうと最初は思ったのですが、乳房の傷痕が無い代わりに、大腿部正面に、白ナマズのような、ゼニタムシのような (汚い比喩で関谷ファンには謝りますが) 色素異常が認められます。これは後期の特色ですので、67年以降の作と断じたわけです。
 なお、このページの12や13などは、この色素異常を写真の汚れと勘違いして、修正時に消してしまいました。16あたりで気が付いてそのまま残すことにいたしましたが、わたしの勘違いをお詫び致します。









123-26 関谷富佐子−54123-26) 関谷富佐子−54
 この写真のおかげで、大島照代と混同し、結果的に122頁が生まれることになるのですが、同じ67年ごろの写真と思われます。この時代は、こういう顔をさせるのが流行ったのでしょうか? 「何とか拷問刑罰史」とか、SM映画の影響でもあるのでしょうか?
 11PMにSM(この言葉が市民権を得た時代だったかも知れません)が取り上げられて、辻村氏や団氏などが出演したのも、この頃だったかも? 藤本義一さんが司会をしていましたね。「SEXの藤本です」(OXを招いた時)なんて自己紹介をしていました。
 SMが大衆化したために、安易に大げさな表情をさせるようになったのでしょうか?







123-27 関谷富佐子−55123-27) 関谷富佐子−55
 この写真は前編に載せるべきでした。62年12月号のグラビア冒頭を飾った写真と同時期の撮影でしょう。撮影は秋と思われますが、随分暖かそうな靴下で踏んづけられていますね。
 これが、63年1月発売の(もろ)でしょうか?『乳房責の苦悶』2枚組。「脂ののりきったコリコリとした固い乳房に加えられる手と足の暴虐の嵐。猿ぐつわに息もできぬくらいの口から洩れる苦悶の悲鳴。」 乳房はふっくらと柔らかそうに見えますが・・・

123-28 関谷富佐子−56123-28) 関谷富佐子−56
 ね。前期の写真では、左オッパイの傷痕のようなものが目立つでしょう。
 畳にビニールのようなものが敷いてあります。(もろ)なら最初期の写真なのですが、この後浣腸責めにでも移行したのでしょうか?

 この2枚が後編に入ってしまったおかげで、関谷夫人全56枚の写真が、前編・後編きちんと28枚ずつに納まりました。バンザーイ。
 それでどうという意味はございません。30枚と26枚でも良かったのですが・・・


123-29 関谷富佐子−57123-29) 関谷富佐子−57
 もう一枚出てきました。実は後数枚有るのですが、アップ写真等企画もので出せそうです。これだけが、ここでないと掲示出来ないようですので、追加します。7や8と同じ竹の壁ですが、西日でも当たっているのでしょうか、随分明暗差の激しい印画です。


122) 教えて下さい・・・竹野ひろ子 大島照代

コレクションから関谷夫人をピックアップしていて、分からなくなった分があります。
 お一人は、大島照代さんと知れましたが、この人は誰でしょう?
 偐関屋田舎源氏? それとも関谷夫人本人ですか? 皆様のお知恵にすがります。お教え下さい。

 以上のように皆様にお知恵をお願いしましたところ、 随心院様、名和様、GT5500様からご教示頂き、竹野ひろ子と確認致しました。そこで、01枚目から04枚目までの文章を書き換えます。ご教示有り難うございました。

122-01 不明モデル−1122-01a) 竹野ひろ子−1a
 竹野ひろ子のかな組は、62年1月号の(まい)(まろ)の計6枚。おしめカバーガールのひろ子ですが、それは(まろ)で、90頁の4a〜cに掲載済みです。
 英字組は63年1月のZ組、B組と8月のE組に16枚。この写真は3枚組と思われますが、(まい)は「完全に自らの下着をむしり取られて・・・」とありますので、やはり英字組の3枚か?
 誌上グラビアとしては、62年3月号の『嵌口に憑かれて』以下5葉にあたります。








122-05 竹野ひろ子−1b122-01b) 竹野ひろ子−1b
 新たにスキャンしました。上記と同じ時に同じ状態で撮影されたと思われますので、枝番で表示します。














122-06 竹野ひろ子−1c122-01c) 竹野ひろ子−1c
 左乳房の痣がよく見えます。
                           
                           













122-02 不明モデル−2122-02a) 竹野ひろ子−2a
 ここからが、随心院様仰有る、美しき縛め第11集の写真ですね。02,03,04と合わせて5枚在ります。






122-07 竹野ひろ子−2b122-02b) 竹野ひろ子−2b
 これも追加分です。







122-03 不明モデル−3122-03) 竹野ひろ子−3
 さて、問題は竹野嬢の左のおっぱいの乳首上方内側に見える異物のことです。何でしょうか? アザ? 腫物痕?
 このページは関谷夫人と見間違えたモデルさんを掲示しているのですが、間違えた原因はこの痕跡なのです。
 関谷夫人にも、121-04や10、20に顕著なように、左乳の同じところに痕跡があります。後編ではもっと明確に写っています。
 全くの別人の、全く同じ箇所に痕跡がある。名和様はお気づきのようでしたが、不思議なことです。








122-04 不明モデル−4122-04) 竹野ひろ子−4
 これは、ひょっとすると縄ズレ、もしくは縄ダコとでも呼べる、縛られ女優特有の職業病ではないかと思うのですがいかがでしょうか?
 乳ガンじゃあるまいし、乳房の特定部位に出来やすい腫物なんて聞いたことがありません。
 乳房を上下に縛るにしても、亀甲に縛るにしても、ここの部分は常に縄が来るところじゃないでしょうか? 2重縄だと動くたびにおっぱいが挟まれたりして。
 じゃあどうして右側にはないんだ? 股縄を掛けると、そこの部分にもタコが出来るのか? とか、いろいろ疑問が出て参ります。
 女性を縛った経験のあるかたのご意見を、ぜひ戴きたいと思います。
 このページは竹野ひろ子さん9枚。大島照代さん5枚の予定です。





122-08 竹野ひろ子−5122-05) 竹野ひろ子−5
 新スキャンです。
 同じ場所での撮影なのに、随分設定を変えています。上の写真に比べてこちらのほうが撮影時刻が早いのでしょうか?














122-09 竹野ひろ子−6122-06) 竹野ひろ子−6
 新スキャンです。
 これはバックが違って見えます。
 62年5月号のグラビア、「私のよろこび」と同じです。














122-07 大島照代−1122-07) 大島照代−1
 最初関谷夫人と思って分類したのですが違ってました。
 67年7月号でアナウンスされた、大島照代夫人の(しむ) 『牝犬と奴隷の生態』だと思います。大手札4枚組で「肉づきのよい<牝大>、そして如河なる苛酷な命令でも易々として涙をのんで従う<奴隷>の生々しい姿を四葉のフォトによって具さに観察して頂こうと思う。」と解説されています。
 お腹の札はセロテープで貼られていて、ちょっと興ざめです。










122-08 大島照代−2122-08) 大島照代−2
 上記と同じ組でしょう。
 この方のお臍は随分特徴的ですね。曲がって付いているように見えます。
 もし、これらが開股ポーズであれば、3月発売の(そよ)と考えたでしょうが、閉じてますので(しむ)だろうと思います。













122-09 大島照代−3122-09) 大島照代−3
 電気のコードのようなもので縛られています。同月発売の(しく)がそれにあたります。
 ここにアップした5枚の写真は、全て顔が暗く、全体に硬調です。
 67年11月号に、河本光三という人の名で、「大島照代との顛末記」という懸賞告白が載っています。多分内部の人間のフィクションと思いますが、筆者は婦人用生理バンドの行商をしていたことになっています。
 ありましたねー、そういう商売が。市場の横手あたりで、露天でも売ってました。当時は既に黒は少なく、ピンクやブルーでしたが、薬店あたりで売っている最新のネット式ではなく、古風な替えゴム式でした。母子寮というのも在りました有りました。





122-10 大島照代−4122-10) 大島照代−4
 同上です。
 大島夫人は、67年の3月から11月にかけて、かな組を25組も出していらっしゃったんですね。あとはX組が4枚あるだけですが。














122-11 大島照代−5122-11) 大島照代−5
 この下着、印画紙ではゴムのように見えたのですが、拡大してみると腰ひもの部分はバイアスに織り目が見えます。クロッチ部分も布のような風合いが見て取れました。男性用のスポーツサポーターか? はたまた当時最新式の生理用品だったのかも知れません。
 スキャンテクニックを駆使したつもりなのですが、自然な階調を保ちながら顔を明るくしようとしますと、腰の白飛びが救えませんでした。それくらい硬い印画でした。









121) 関谷富佐子夫人の前編 (わあ)(もい)他

さて、いよいよ関谷富佐子夫人にかかります。
 関谷夫人は、写真点数が多いうえに、63年から70年と、分譲期間が長いため、ヘアスタイルなどの変化が激しい事。しかめっ面ばかりで、普通の顔の写真が少なく、後ろを向かれると前を想像しにくいなど、なかなか厄介な存在です。
 今回こそ、前・後編に分けて掲載致します。

121-01 わあ−1関谷富佐子121-01) わあ−1 関谷富佐子−1
 この写真と次には、裏に(わあ)と書き込みがあります。63年8月号で発売された『裸身の晒し』 大手札3枚組であろうと思われます。















121-02 わあ−2関谷富佐子121-02) わあ−2 関谷富佐子−2
 同じく『裸身の晒し』
 「バタフライも剥ぎとられて、全裸の姿態をさらして後手に吊られた魅力的な臀部を、ぷりぷりと固肥りに引き締ったヒップを皮のムチで思いきり引っぱたくと、肌を真赤に染めて、全身をくねくねとくねらせて身悶えぬく均整のとれた美しさか、ぐっとしびれるように胸にくる。」 と解説されています。相変わらず下手くそな日本語ですね。











121-03 関谷富佐子−3121-03) わあ−3? 関谷富佐子−3
 これも、(わあ)と思われますが、同月発売の(せら)の可能性もあり、その他E組以降の英字組かもしれず、特定は不能です。
 上の2枚は糊付きアルバムに貼られていたのに対し、これと次はポケット型アルバムに差し込まれていたなど、出所も違います。













121-04 関谷富佐子−4121-04) 関谷富佐子−4
 上と同じ日の撮影と思われますが、それ以上の特定は出来ません。
















121-05 せや 関谷富佐子−5121-05) せや 関谷富佐子−5
 63年5月号で発売の(せや)『夫人の表情』 3枚組。
 「いろいろの事情から口絵には発表できない関谷夫人の素晴しい悦虐の表情をとっておきのネガから特別提供します。一回の撮影に僅か数ポーズか撮影できなかった際のムチ打ちに悶える夫人のすべてがこの三葉のフォトに集約されています。」 といっても、ムチもなければ傷もない。ただ顔をしかめているだけの写真です。


121-06 関谷富佐子−6121-06) 関谷富佐子−6
 3の写真と同じで、上とは出所が違い、裏書きもありません。でも同時撮影だと思います。
 右側に別人のヒザが見えます。女性のヒザのように華奢ですべすべした感じですが、関谷夫人の撮影に女性が同席した形跡はありませんので、多分男性なんでしょう。



121-07 関谷富佐子−7121-07) 関谷富佐子−7
 横のものを縦にしただけの写真です。
 1枚ぐらいにっこりした写真があっても良いと思いますのに・・・佐々木真弓みたいに。














121-08 関谷富佐子−8121-08) 関谷富佐子−8
 ここでようやくムチが出てきました。
 背中の凹みのように見える明部が何かは分かりません。原板では目立ちすぎましたので、少し押さえておきました。
 実は、この写真は2枚持っておりました。もう1枚は中央部が黄色に汚れていましたので、スキャンしませんでしたが、こんな明部はありません。事前に分かっていたらもっと思い切って修正したんですが・・・


121-09 もい−1 関谷富佐子−9121-09) もい−1 関谷富佐子−9
 ここからの4枚は全て裏に略号の書き込みがあり、糊付きフィルム付きアルバムに貼られていました。ところが、保存状態がよいかといいますと、むしろポケット式アルバムに入れられていたものの方が褪色が少ないんですね。不思議なものです。
 奇クとしては珍しく床は毛足がループ状になったカーペットです。同じ場所での写真があと10枚以上在りますので、13枚目からご紹介します。


121-09 もい−2 関谷富佐子−10121-10) もい−2 関谷富佐子−10
 63年1月号で発表された(もい)『強烈、エビ縛り』3枚組。
 解説は「肥り肉(じし)の白い女体をくの字に二つ折りにして、着用のバタフライもかなぐりすててエビ縛りのまま受ける強烈なムチ打ちに真白いの臀部は忽ち紅に染まり、頸にかかった繩をピンと張りきらして悶える美体。」 さっきから「ムチ打ち、ムチ打ち」と言いますが、それにふさわしいポーズじゃありません。


121-11 もた 関谷富佐子−11121-11) もた 関谷富佐子−11
 同じ号で出ました、(もた)『全裸ムチ打ち』4枚組。
 「豊麗な臀部に、太股に脛に、情容赦なく作烈する革製のムチ。白い肌にはミミズばれが赤黒く走り、後手に縛られて身動きの出来ぬ彼女は、只ヒーヒーといって転げまわるばかり。ムチ打ちに命を捧げる彼女に対して行った手加減のない本格的なムチ打ちの成果。」 ミミズ腫れもなく、赤黒くもない、綺麗なお肌です。イエ、修正の結果ではありません。