大塚啓子嬢単独でのカラープリントは、1966年の1月と5月に合計8組が発売されています。最初のご登場が58年3月号ですので、8年経過しています。その間、大塚嬢は大きな変貌を遂げられました。ボブカットになさって、見まがうばかりに美しくなられたのです。私はてっきり別人と思っておりました。
そんな美人の大塚嬢と、時代が重なりながらも少し後輩で、あまり変化なく続けられた木村洋子さんのカラー写真をご覧いただきます。
180-01 a〜d) (うこ)「真紅の腰巻緊縛」大塚啓子
101頁の3項でご覧いただいたものと同じですが、プリントの保存状態はずっと良いものです。
66年1月号発売の4枚組で、解説は「真紅な腰巻の乱れた裾から、真白な太股が、胚が、素足がこぼれるエロチックな緊縛シーンが、カラーによって最高度にいかされた美しい責めフォトです。」




180-02 a〜d) (てか)「後手裸身柱縛り」大塚啓子
66年5月号発売の4枚組です。別にオリジナル袋が付いているわけじゃなし、決め手は無いんですが柱に括られていますので。
解説は「後手高手小手の厳しい縄目が柔肌の二の腕、胸、腹、太股、膝とくひるように柱に縛りつけられている。裸身を正面向けて羞かしげに身もだえしている可憐な表情が華麗な色彩によって美しい。」
ちょっと判断の難しいことがありまして、「紺と白のまだら縄」を使っていますので(てく)の可能性もあります。しかし、消去法で「柱に縛り付けられている」こちらを(てか)と考えました。(てく)の可能性も無きにしも非ず。




180-03 a〜k) (てく)(てこ)(てま)大塚啓子
さあ、同じ1966年5月号で発売された筈の写真が11枚ございます。間違いなく表題の3組と思うんですが、どの組に属するものやらさっぱりわかりません。そこで、資料を列記し写真も分類せずお目にかけます。
略号(てく)「縄目にあえぐ裸女」4枚組。解説は「ビンク色に染まった柔肌に紺と白のまだらの縄が、くひるように全身を締めつけ背中て高々と背負ったように後手首が固定され、僅かに自由な脚をばたつがせる。」
略号(てこ)「豊麗裸身の縄目」4枚組。解説は「均整のとれた豊かな裸身に情容赦のない縄目が高手小手にきびしくまつわりついている柔肌のくびれ具合が天然色によって、まるで錦絵のように美しい。」
略号(てま)「後手高手小手縛り」3枚組。解説は「典型的な後手高手小手縛りの裸身をマニアの眼に触れることの羞らいて顔をのけぞらし、全身をくねらし悶えるさまを実物を眺めるのと変らぬ着色フオトてどうぞ。」ってんですが、前手の高手小手ってあるのかな?
大塚嬢単独のカラー写真は7組24枚。腰巻着用と両手吊り3組9枚ですので、残りは4組15枚で、その全部をここに掲載いたします。前項では「まだら縄」を棄て「柱に縛りつけ」を採って(てか)としましたので、ここに(てく)(てこ)(てま)計11葉が残ったわけです。











180-04 a〜c) (れの)「開股された股間縛」木村洋子
写真裏の隅っこに「れの」と鉛筆書きされていますので、それを尊重して(れの)に分類しておきます。解説は「始めてのカラー撮影に開股縛りの羞恥責めにあって、全身にマゾの歓喜を湛えながら縄目は強ければ強い程良いとうわ言をいう。」
木村洋子のカラー大手札写真は1967年3月号発売の3枚組3組のみです。



180-05 a〜c) (れね)「立縛りにあう裸女」木村洋子
解説は「無防備な女体の前面をさらけだして両手は後手に、或は頭上に高々と縛りあげられて今は只僅かに自由にな脚をもがき続ける。」
この組は、ほぼ同時に2組入手いたしました。一組には前項(れの)と同様裏面に「れね」と記してありますが、スキャンしたのはカラーバランスが良い記入の無い組です。2組のカットがプリント時期が違っているのに全く同じというのは、これが(れね)に間違いないと確信するに足る証拠かと思います。
なお、持っておりませんが(れむ)は「豆絞りの猿ぐつわ」解説が「豆絞りの猿ぐつわが厳しく口を噛み痩せ型の裸身を汚れたロープがくびるように肌を割ってむごたらしさがカラーであたりに漂う。」ですので、前項3枚目やこの項2枚目がその組かと疑われるのですが、前記の通りこの分類が正解だと思います。(ごめんなさい101頁に掲載しておりましたご参照ください)
3枚目の写真にはパンネットが小道具に使われています。まだnewが付いていない頃の製品です。ただアンネナプキンはもっと小さいので、オケケ隠しにより大きい何かを当てさせたのだと思います。
そうそう、この1枚目の写真右隅の鏡にカメラが映り込んでいるのですが、35ミリ一眼レフで撮ってるんですね。多分ペンタックス。6×6だとDP屋さんに出すとノートリで正方形にプリントされ、高いお金を取られるんですね。35mmのほうがLサイズに安くプリント出来たためだったと思います。グラビア復活や、ましてカラーページなんて考えられない時期でしたから、ネガカラー写真は分譲だけを考えれば良かったんだと思います。
この頁はこれでおしまい。次はカラー写真の最後として山原清子さんをご覧いただきます。



そんな美人の大塚嬢と、時代が重なりながらも少し後輩で、あまり変化なく続けられた木村洋子さんのカラー写真をご覧いただきます。
180-01 a〜d) (うこ)「真紅の腰巻緊縛」大塚啓子
101頁の3項でご覧いただいたものと同じですが、プリントの保存状態はずっと良いものです。
66年1月号発売の4枚組で、解説は「真紅な腰巻の乱れた裾から、真白な太股が、胚が、素足がこぼれるエロチックな緊縛シーンが、カラーによって最高度にいかされた美しい責めフォトです。」




180-02 a〜d) (てか)「後手裸身柱縛り」大塚啓子
66年5月号発売の4枚組です。別にオリジナル袋が付いているわけじゃなし、決め手は無いんですが柱に括られていますので。
解説は「後手高手小手の厳しい縄目が柔肌の二の腕、胸、腹、太股、膝とくひるように柱に縛りつけられている。裸身を正面向けて羞かしげに身もだえしている可憐な表情が華麗な色彩によって美しい。」
ちょっと判断の難しいことがありまして、「紺と白のまだら縄」を使っていますので(てく)の可能性もあります。しかし、消去法で「柱に縛り付けられている」こちらを(てか)と考えました。(てく)の可能性も無きにしも非ず。




180-03 a〜k) (てく)(てこ)(てま)大塚啓子
さあ、同じ1966年5月号で発売された筈の写真が11枚ございます。間違いなく表題の3組と思うんですが、どの組に属するものやらさっぱりわかりません。そこで、資料を列記し写真も分類せずお目にかけます。
略号(てく)「縄目にあえぐ裸女」4枚組。解説は「ビンク色に染まった柔肌に紺と白のまだらの縄が、くひるように全身を締めつけ背中て高々と背負ったように後手首が固定され、僅かに自由な脚をばたつがせる。」
略号(てこ)「豊麗裸身の縄目」4枚組。解説は「均整のとれた豊かな裸身に情容赦のない縄目が高手小手にきびしくまつわりついている柔肌のくびれ具合が天然色によって、まるで錦絵のように美しい。」
略号(てま)「後手高手小手縛り」3枚組。解説は「典型的な後手高手小手縛りの裸身をマニアの眼に触れることの羞らいて顔をのけぞらし、全身をくねらし悶えるさまを実物を眺めるのと変らぬ着色フオトてどうぞ。」ってんですが、前手の高手小手ってあるのかな?
大塚嬢単独のカラー写真は7組24枚。腰巻着用と両手吊り3組9枚ですので、残りは4組15枚で、その全部をここに掲載いたします。前項では「まだら縄」を棄て「柱に縛りつけ」を採って(てか)としましたので、ここに(てく)(てこ)(てま)計11葉が残ったわけです。











180-04 a〜c) (れの)「開股された股間縛」木村洋子
写真裏の隅っこに「れの」と鉛筆書きされていますので、それを尊重して(れの)に分類しておきます。解説は「始めてのカラー撮影に開股縛りの羞恥責めにあって、全身にマゾの歓喜を湛えながら縄目は強ければ強い程良いとうわ言をいう。」
木村洋子のカラー大手札写真は1967年3月号発売の3枚組3組のみです。



180-05 a〜c) (れね)「立縛りにあう裸女」木村洋子
解説は「無防備な女体の前面をさらけだして両手は後手に、或は頭上に高々と縛りあげられて今は只僅かに自由にな脚をもがき続ける。」
この組は、ほぼ同時に2組入手いたしました。一組には前項(れの)と同様裏面に「れね」と記してありますが、スキャンしたのはカラーバランスが良い記入の無い組です。2組のカットがプリント時期が違っているのに全く同じというのは、これが(れね)に間違いないと確信するに足る証拠かと思います。
なお、持っておりませんが(れむ)は「豆絞りの猿ぐつわ」解説が「豆絞りの猿ぐつわが厳しく口を噛み痩せ型の裸身を汚れたロープがくびるように肌を割ってむごたらしさがカラーであたりに漂う。」ですので、前項3枚目やこの項2枚目がその組かと疑われるのですが、前記の通りこの分類が正解だと思います。(ごめんなさい101頁に掲載しておりましたご参照ください)
3枚目の写真にはパンネットが小道具に使われています。まだnewが付いていない頃の製品です。ただアンネナプキンはもっと小さいので、オケケ隠しにより大きい何かを当てさせたのだと思います。
そうそう、この1枚目の写真右隅の鏡にカメラが映り込んでいるのですが、35ミリ一眼レフで撮ってるんですね。多分ペンタックス。6×6だとDP屋さんに出すとノートリで正方形にプリントされ、高いお金を取られるんですね。35mmのほうがLサイズに安くプリント出来たためだったと思います。グラビア復活や、ましてカラーページなんて考えられない時期でしたから、ネガカラー写真は分譲だけを考えれば良かったんだと思います。
この頁はこれでおしまい。次はカラー写真の最後として山原清子さんをご覧いただきます。



終戦記念日に新規のアップありがとうございます。
奇クには60年代の一時期、カラーグラビアがありましたが四馬孝のイラストだけで、緊縛写真のカラー版は終末期まで見られませんでした。65年当時はグラビアそのものがなくなっていましたから、ほぼ分譲のみを意図して撮られたのでしょうね。
それほどたくさんプリントされたとも思えないこれらの写真がよく残っていたものです。そしてそれを入手・整理・公開されるミスターのご努力と情熱にあらためて敬服いたします。
異常な暑さが続いています。
どうぞご自愛くださいますよう。
【随心院】拝