前頁で予告いたしました通り、絹川文代嬢をお届けいたします。
絹川嬢お一人で写っている写真は、(かな)組では58年12月号から64年6月号まで、43組ほど発売されています。英字組は59年10月の袖珍Y組からA,B,G,Eぼ各組、63年1月号のZ組まで55枚ですね。
きっかけは昨年ネットで20枚ばかりの写真を落とした事からでした。このうちの12枚が絹川嬢に間違いないと思うんですが、お顔は若々しく引き締まっているし、撮り方や撮影現場の整理も他のものとはちょっと違うように思うんです。まあ、写真をご紹介しながら、書いて参ろうと思っております。
191-01 a~l) 多分未発表の12枚
01-a,b,c)



01-d,e,f)



01-g,h,i)



01-j,k,l)



[長文につき、解説を後ろに置きます]
この12枚は他で見たことがありません。絹川嬢はストリッパーをなさっていたのをモデルにスカウトなさったと記事にありましたが、美しい姿態です。
光源は当時広まりつつあった小型ストロボ、それも多分ブラケット型と思われます。被写体の反対側に派手な影が出てしまい、ベタ光の素人っぽい印象になりますので、記念写真や犯罪報道以外ではあまり使わなかったものです。
でも、新たに購入したストロボのテスト用に撮影し、そのプルーフとしてブローニー1本全コマ分を焼き付けたとしたら、説明はつきます。塚本氏は元新聞記者とのことで軽便なストロボには興味を示されたと思いますので。白いレースのブラジャーもダイレクトフラッシュによる白トビをチェックするためだったのかも知れません。
それから、DPEが通常の業者と違っています。当時は自動現像機ではなく手焼きなんですが、これはイーゼルの精度が良いんです。この当時の奇ク分譲写真のイーゼルは直角が出ておらずややイビツになっていますが、この写真は綺麗で、印画紙も通常より少し薄手で僅かに折れがありすが、変色もなく丁寧に現像処理されていました。
原版は粒状から見て6×6だと思うんですが、01-cでは、わざとカメラを左に倒してストロボを下に、影が多く出るようにして写しており、2眼レフではピント合わせに苦労したと思うんですが実験色の強い作品です。
いずれにせよ分譲写真としてもグラビアとしても見たことがない写真です。
追伸:臨時増刊 59年6月号の悦・特No.2 のグラビア「艶肌の拘束」と同11月のSado特No.3「ひとはしら」が、同じ照明、同じ衣装ですね。撮影場所が座敷に代わっているだけです。
191-02 a~c) 袖珍Y組 35,36関連の3枚 (腰巻き姿)
本ブログ33頁でご紹介した、大名刺判分譲写真の同時撮影分と思われます。この写真は大手札ですがね。
絹川嬢の写真解説は美辞麗句はいいのですが明確にわかる言葉「股縄とか高手小手とかエビ責め」のような形容が少なく、決め手に乏しいようです。「全裸」は出るのですが言葉からポーズが想像できるような具体的な表現は差し控えたようです。チャタレー裁判の影響でしょうか? そういえばチャタレー裁判の最高裁判決は57年で、2年経たない頃の出来事だったんですね。ロレンスと伊藤整の文章は文学なのにそれを読んだ判事の心がエロだったと評された事件でしたね。
59年12月号のグラビア「深紅の腰巻」同時撮影分ですが、同一写真は含まれておりません。この当時の分譲写真は掲載写真とは別のネガからのプリントだったようです。



191-03 a~c,d~f) 2階の縁側にて
この項で昨年入手した不思議なプリント21枚のご紹介を終えます。
撮影場所は(多分浜寺・羽衣あたりかなと思っているんですが)戦前は別荘として使われていた邸宅の多分2階の濡縁だと思います。その後は料理旅館などに使われたのかも知れませんね。私もこれよりずっと小規模ですが、庭のある邸宅で育ちました。朝鮮戦争の特需景気やらで儲かった分を昔の屋敷の改修に使ったんですね。
B-21(P.4,92,143で紹介済み)や7頁のG-32と同じ撮影場所と思うんですが、これらは外からガラス戸がはまっています。木の手すりの外側にガラス戸というのは珍しく、台風の時はどうするんだろうと心配になります。
3枚づつ着衣が違います。21枚全てが全裸ではなく腰を隠しています。絹川嬢はストリップダンサーだったので、初めのうちは生理の時に劇場を休んでモデルをなさっていたのかなとも邪推しています。
03-a,b,c) 58年12月号関連



03-d,e,f) 58年11月号関連



穿きこみの深さから見て生理帯のように思います。a~c と同時撮影だと思いますので、上の写真ではバスタオルで隠していたのかも知れませんね。逆光補正にストロボを小光量でブラケットから焚いています。d の写真は随分ブレがあります。掲載や分譲は出来ないもののプルーフが残っていたものと、私が想像する所以です。
ゴメンナサイ! 掲載されていました。58年11月号グラビアの最後のページに、d~fと同時撮影分が「ニューガールの緊縛模様」として発表さていました。そして a~c は12月号ですね。訂正しておきます。
191-04a,b,c) (きぬ)1958年12月号
これは数年前に入手したもので、略号(きぬ)とわかっております。3枚組で題名は「全裸緊縛集」解説は「輝くばかり純白の美女の柔肌にきびしくも、痛ましく、喰い込んだ縄目の鮮やかさ。」絹川嬢最初の分譲写真で、そのトップを飾ったものです。このブログでも、この項abc順に 91-5c、91-5aと66-5、91-5b に出て参ります。この程度の解説で、なぜ(きぬ)と判明したのかと申しますと、66頁の写真裏にきぬと鉛筆で書いてあったからなんですね。そうでなきゃ分かりませんよ、こんな形容詞じゃ。でもいい写真です。
一見してライティングが異なることが判ります。フラッド球といっても多分300Wぐらいの球だろうと思います。当時は一般民家の電気容量は小さく、500W球を複数使うとすぐにヒューズが飛んでしまうんですね。300や350Wの方が取り回しが良かったんです。その代わりトレペを使うと暗くなってしまって。仕方がないので思い切り照明を近寄せたりしました。イエ、私は縛った女性を写した事はありませんよ。



191-05 a~c,d,e)
a は91-07 で(きん)に当てたものです。b,c は92-13a,b と同時撮影分と思われます。d,e も92-03,04でZ組59,65かも知れないと書いたものです。今回改めて調べたものではございません。
なお、このe の写真は92-04とは別の印画ですが、DPEは同時だと思われます。2枚とも引き延ばし電球の軸が狂って大きな光源ムラが出ております。こんなに調整の悪い伸ばし機をそのままにしておく筈はない。暗室で現像液から停止液につけた段階ですぐにわかるからです。ひょっとすると引き伸ばし球が切れて、一般家庭用の40W電球か何かで急場しのぎをしたのかも知れません。こんなプリントを納品する方もするほう、それを平気で分譲する方もするほうですね。でもネガの仕上がりは上々のようで、3号印画紙だと思いますがいい調子が出ています。





191-06 a~d) その他写真
今回お目にかける最後の4枚ですが、バラバラの写真で特にC,Dは絹川嬢ではございません。
06a は類似の写真が見つかりませんが、何か洋風のお屋敷ですね。白表紙が終わる前後洋風のお屋敷で写したものや逆瀬川での撮影分が含まれたりしています。何か宝塚あたりの洋風のお屋敷の住人とのおつながりが出来たんでしょうか? 宝塚二三夫さんというお名前を見た記憶がありますが。
お召しになっているショーツはクロッチ幅から言って生理用と思います。そういえば絹川嬢、グラビアでは全裸の写真はめったにないです。ケエサツが怖かっただけでなく、本当に劇場の生理休暇中に撮影した分が多かったのかも知れませんね。
06b は59年11月号グラビア「たそがれのプレイ」で使われた衣装で、多分その時に撮影されたものでしょう。
06c は東浦ひかる嬢、06d は四方晴美嬢で、分類のところで紛れ込んだものです。124頁に掲げたものと同じで、組名等は判りません。




以上でこの頁を閉じます。
絹川嬢お一人で写っている写真は、(かな)組では58年12月号から64年6月号まで、43組ほど発売されています。英字組は59年10月の袖珍Y組からA,B,G,Eぼ各組、63年1月号のZ組まで55枚ですね。
きっかけは昨年ネットで20枚ばかりの写真を落とした事からでした。このうちの12枚が絹川嬢に間違いないと思うんですが、お顔は若々しく引き締まっているし、撮り方や撮影現場の整理も他のものとはちょっと違うように思うんです。まあ、写真をご紹介しながら、書いて参ろうと思っております。
191-01 a~l) 多分未発表の12枚
01-a,b,c)



01-d,e,f)



01-g,h,i)



01-j,k,l)



[長文につき、解説を後ろに置きます]
この12枚は他で見たことがありません。絹川嬢はストリッパーをなさっていたのをモデルにスカウトなさったと記事にありましたが、美しい姿態です。
光源は当時広まりつつあった小型ストロボ、それも多分ブラケット型と思われます。被写体の反対側に派手な影が出てしまい、ベタ光の素人っぽい印象になりますので、記念写真や犯罪報道以外ではあまり使わなかったものです。
でも、新たに購入したストロボのテスト用に撮影し、そのプルーフとしてブローニー1本全コマ分を焼き付けたとしたら、説明はつきます。塚本氏は元新聞記者とのことで軽便なストロボには興味を示されたと思いますので。白いレースのブラジャーもダイレクトフラッシュによる白トビをチェックするためだったのかも知れません。
それから、DPEが通常の業者と違っています。当時は自動現像機ではなく手焼きなんですが、これはイーゼルの精度が良いんです。この当時の奇ク分譲写真のイーゼルは直角が出ておらずややイビツになっていますが、この写真は綺麗で、印画紙も通常より少し薄手で僅かに折れがありすが、変色もなく丁寧に現像処理されていました。
原版は粒状から見て6×6だと思うんですが、01-cでは、わざとカメラを左に倒してストロボを下に、影が多く出るようにして写しており、2眼レフではピント合わせに苦労したと思うんですが実験色の強い作品です。
いずれにせよ分譲写真としてもグラビアとしても見たことがない写真です。
追伸:臨時増刊 59年6月号の悦・特No.2 のグラビア「艶肌の拘束」と同11月のSado特No.3「ひとはしら」が、同じ照明、同じ衣装ですね。撮影場所が座敷に代わっているだけです。
191-02 a~c) 袖珍Y組 35,36関連の3枚 (腰巻き姿)
本ブログ33頁でご紹介した、大名刺判分譲写真の同時撮影分と思われます。この写真は大手札ですがね。
絹川嬢の写真解説は美辞麗句はいいのですが明確にわかる言葉「股縄とか高手小手とかエビ責め」のような形容が少なく、決め手に乏しいようです。「全裸」は出るのですが言葉からポーズが想像できるような具体的な表現は差し控えたようです。チャタレー裁判の影響でしょうか? そういえばチャタレー裁判の最高裁判決は57年で、2年経たない頃の出来事だったんですね。ロレンスと伊藤整の文章は文学なのにそれを読んだ判事の心がエロだったと評された事件でしたね。
59年12月号のグラビア「深紅の腰巻」同時撮影分ですが、同一写真は含まれておりません。この当時の分譲写真は掲載写真とは別のネガからのプリントだったようです。



191-03 a~c,d~f) 2階の縁側にて
この項で昨年入手した不思議なプリント21枚のご紹介を終えます。
撮影場所は(多分浜寺・羽衣あたりかなと思っているんですが)戦前は別荘として使われていた邸宅の多分2階の濡縁だと思います。その後は料理旅館などに使われたのかも知れませんね。私もこれよりずっと小規模ですが、庭のある邸宅で育ちました。朝鮮戦争の特需景気やらで儲かった分を昔の屋敷の改修に使ったんですね。
B-21(P.4,92,143で紹介済み)や7頁のG-32と同じ撮影場所と思うんですが、これらは外からガラス戸がはまっています。木の手すりの外側にガラス戸というのは珍しく、台風の時はどうするんだろうと心配になります。
3枚づつ着衣が違います。21枚全てが全裸ではなく腰を隠しています。絹川嬢はストリップダンサーだったので、初めのうちは生理の時に劇場を休んでモデルをなさっていたのかなとも邪推しています。
03-a,b,c) 58年12月号関連



03-d,e,f) 58年11月号関連



穿きこみの深さから見て生理帯のように思います。a~c と同時撮影だと思いますので、上の写真ではバスタオルで隠していたのかも知れませんね。逆光補正にストロボを小光量でブラケットから焚いています。d の写真は随分ブレがあります。掲載や分譲は出来ないもののプルーフが残っていたものと、私が想像する所以です。
ゴメンナサイ! 掲載されていました。58年11月号グラビアの最後のページに、d~fと同時撮影分が「ニューガールの緊縛模様」として発表さていました。そして a~c は12月号ですね。訂正しておきます。
191-04a,b,c) (きぬ)1958年12月号
これは数年前に入手したもので、略号(きぬ)とわかっております。3枚組で題名は「全裸緊縛集」解説は「輝くばかり純白の美女の柔肌にきびしくも、痛ましく、喰い込んだ縄目の鮮やかさ。」絹川嬢最初の分譲写真で、そのトップを飾ったものです。このブログでも、この項abc順に 91-5c、91-5aと66-5、91-5b に出て参ります。この程度の解説で、なぜ(きぬ)と判明したのかと申しますと、66頁の写真裏にきぬと鉛筆で書いてあったからなんですね。そうでなきゃ分かりませんよ、こんな形容詞じゃ。でもいい写真です。
一見してライティングが異なることが判ります。フラッド球といっても多分300Wぐらいの球だろうと思います。当時は一般民家の電気容量は小さく、500W球を複数使うとすぐにヒューズが飛んでしまうんですね。300や350Wの方が取り回しが良かったんです。その代わりトレペを使うと暗くなってしまって。仕方がないので思い切り照明を近寄せたりしました。イエ、私は縛った女性を写した事はありませんよ。



191-05 a~c,d,e)
a は91-07 で(きん)に当てたものです。b,c は92-13a,b と同時撮影分と思われます。d,e も92-03,04でZ組59,65かも知れないと書いたものです。今回改めて調べたものではございません。
なお、このe の写真は92-04とは別の印画ですが、DPEは同時だと思われます。2枚とも引き延ばし電球の軸が狂って大きな光源ムラが出ております。こんなに調整の悪い伸ばし機をそのままにしておく筈はない。暗室で現像液から停止液につけた段階ですぐにわかるからです。ひょっとすると引き伸ばし球が切れて、一般家庭用の40W電球か何かで急場しのぎをしたのかも知れません。こんなプリントを納品する方もするほう、それを平気で分譲する方もするほうですね。でもネガの仕上がりは上々のようで、3号印画紙だと思いますがいい調子が出ています。





191-06 a~d) その他写真
今回お目にかける最後の4枚ですが、バラバラの写真で特にC,Dは絹川嬢ではございません。
06a は類似の写真が見つかりませんが、何か洋風のお屋敷ですね。白表紙が終わる前後洋風のお屋敷で写したものや逆瀬川での撮影分が含まれたりしています。何か宝塚あたりの洋風のお屋敷の住人とのおつながりが出来たんでしょうか? 宝塚二三夫さんというお名前を見た記憶がありますが。
お召しになっているショーツはクロッチ幅から言って生理用と思います。そういえば絹川嬢、グラビアでは全裸の写真はめったにないです。ケエサツが怖かっただけでなく、本当に劇場の生理休暇中に撮影した分が多かったのかも知れませんね。
06b は59年11月号グラビア「たそがれのプレイ」で使われた衣装で、多分その時に撮影されたものでしょう。
06c は東浦ひかる嬢、06d は四方晴美嬢で、分類のところで紛れ込んだものです。124頁に掲げたものと同じで、組名等は判りません。




以上でこの頁を閉じます。
絹川文代嬢のフォトありがとうございます。綺麗な印画ですね。
191-01は全くの初見です。白い下着もなかなか新鮮。191-06 a)は、似たようなカットを初期の増刊号で見たような記憶がありますが、確証はありません。
宝塚二三夫さんは「ボクの責め方」という記事でぼんやり覚えています。本当に宝塚あたりの資産家だったようです。
【随心院】拝