昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真 - Japanese Bondage Photos presented by "The KITAN CLUB" in 1951-'75

 昭和のよき時代、奇譚クラブという雑誌がありました。記事に使う目的で撮影した緊縛写真を分譲してくれました。今では滅多にお目にかかれない貴重な品なのですよ。そのオリジナルの緊縛写真のみをアップいたします。 皆様の秘蔵品もよろしければいかがでしょうか・・・。

 偶々手元に置くことになりました約2,000枚に及ぶ、50年代から75年の奇譚クラブの分譲写真を掲載します。なお、P.201 からは奇譚クラブ以外の媒体で販売された写真もご覧いただきます。

生理帯

200) 大塚啓子 東浦ひかる のフェチ写真

  エー、皆様本当にご無沙汰でございました。前頁で元日のご挨拶をしてから新たな画像をお目にかけることもなく、もうお盆前でございます。コロナとプーチンに振り回されたこともあるのですが、やはり寄る年波ですね。今回で何とか200頁目です。
 この間に入手いたしました200枚ばかりの奇ク分譲写真がありまして・・・主にローマ字組らしいんですが、中にかな組で結構フェティシュな写真が含まれておりました。これらは目立ちますので特定しやすい。ということでお目にかけます。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
200-01a)K組26 セーラー服縛り(大塚啓子)
199-01  フェチ 大塚 K27 001d 1965年7月号で発売された「ニューモデル悦虐寫眞50集」K組50枚 のうちの1枚です。
 エッ、お前は制服フェチか?ですって? いえ、でも次にお目にかける7枚と同時撮影分に間違いないと思いますので、プロローグとして、とりあえず・・・・











200-01b~d)略号(かは)大塚啓子
199-01  フェチ 大塚 かは01 001d199-01  フェチ 大塚 かは02  002d

199-01  フェチ 大塚 かは03  003d
 1962年10月号で発売された、「ゴムカバー着縛り」略号(かは)3枚組と思われます。解説は「ぬめぬめとしたアメゴムのオシメ・カバーが身の自由にならぬ下半身にはかされてこれから排泄の汚辱にむせばんとするカバー・プレイの三場面。ゴムの臭気が鼻の先に匂ってくる迫力。」とあります。










ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

200-02a~d)略号(せち)大塚啓子

199-02  フェチ 大塚 せち01 001d199-02  フェチ 大塚 せち02 002d

199-02  フェチ 大塚 せち03 003d199-02  フェチ 大塚 せち04 004d

 1962年11月号でアナウンスされました、略号(せち)「オシメ浣腸責」4枚組と思われます。解説は「ガラス製三〇CC浣腸器、エネマシリンジを用いて浣腸を施したモデル嬢にオシメカバーをつけさせ、後手に縛って自由を奪うと忽ち激しい便意が七転八倒の苦しみとなって全身をさいなむ。その有様を執拗にカメラは狙ってゆく。」とあります。
 「後手」には縛ってないので、さあ、本当に(せち)でしょうか?

−−−−−−−−−−−−−−−−−
200-03a~c)略号(ゆす)遠藤百合子 「月経帯のまま縛り」
 1963年10月号で発表されました(ゆす)3枚組。解説は「後手の高手小手に縛られて、今は両手の自由のきかない百合子さんは、黒の月経帯をはかされて、蒲団の上にころがされる。起き上ろうとして身体を起せば、思わず両足が開いて、月経帯がすっかり見えてしまう。」
 拡大して見ますと、素材はリブ織り柄のメリヤス地。
奇クに紹介される月経帯は「当時としても非常に珍しくなっていたビクトリヤバンド」といわれていたように、懐古趣味なんです。思春期の男の子が母親を慕いながらも、何か別の人種のように感じたのが月経帯。そのノスタルジアなんですね。
 この前年末にはアンネナプキン(パンネットも)が発売されていました。しかし替えゴム付き生理帯は進化の頂点にあり、ナイロン地で腰にぴったりフィットし、ズレない安定感で大多数の支持を得ていました。当時最新の生理帯と比較すると、アンネナプキン+パンネットは分が悪く、余程新し好みの女性も一気には替えがたかった。まあ少ない日や予防の意味でするならナプキンで済まそうという若い女性は多かったでしょうね。
 ムレるムレないなんて、今のテレビショッピングのサプリメント広告みたいなもので、ムレても安全がいいという女性の方が圧倒的に多かった。少なくとも「多い日」は安心感のある替えゴムタイプに脱脂綿をたっぷり当てる女性が多かったのではないでしょうか。今だって多少ムレてもいいから、ビニールの裏地をつけた、38センチとか40何センチなんて、おむつみたいなナプキンを防水布ショーツに糊で張り付けているじゃないですか。アンネは革命的ではあったけど、発売後こそが普及の正念場だったんでしょう。だからパンネットの発売価格は、カラフルな合繊を使った替えゴム生理帯が300円以上したのに、1/2以下の150円ですものね。
200-03  フェチ 遠藤 ゆす 01 001d200-04  フェチ 遠藤 ゆす 02 002d200-04  フェチ 遠藤 ゆす 03 003d

200-03a~c)東浦ひかる 月経帯着用写真 
200-05 フェチ 東浦 ?? 03 003d03a) 1963年2月号で発売された、略号(おし)3枚組の1枚でしょうか? 組名「パピアバンド(大型替ゴム)」解説は「黒メリヤス製の前開きで、大型特ゴムのついたパピアバンドです。ひだの多いどっしりとした特ゴムを裏返して、着用したままで殊更に自らの手でお見せしようという縛りなしの、いかにもメンスバンドの特徴をもったフォトです。」


200-05 フェチ 東浦 ?? 04 004d03b) これも同時発売の(おい)の一枚かと思います。組名「パリスバンド前開き」解説は「黒メリヤス製前開きのパリスバンドを着用し、前開きをあけて当てゴムをあらわにしているバンド着用のフォト。替ゴムの部分をはっきりと見せるために、その部分を殊更前面につき出させ、自らの手でバンドにふれている諸々のポーズを開陳(縛りなし)」 左右逆焼付です。









03c,d)  (おは)東浦ひかる
 同じく2月号。「パリスバンドの縛り」3枚組のうちの2枚。解説は「替ゴムもあらわなポーズでパリスバンドを着用させられた東浦嬢が、両手を厳しく緊縛されて自由のきかない身を、僅かに両手をばたつかせてもがくさまを表す。」(おは)か(おこ)か迷ったんですが、(おこ)は「縛りなし」ですので、(おは)かな?と。
200-05 フェチ 東浦 おは 02 002d200-05 フェチ 東浦 おは 04 001d

−−−−−−−−−−−−−−−−−
200-04a,b)はて? 誰でしょう
 記憶にあるのですが、はて、誰でしょう? 大塚嬢のようにも見えます。お肌は東浦譲ぐらいに綺麗です。ツボ柄の襖にも覚えがあります。
200-06  フェチ ?? 01 001d200-06  フェチ ?? 02 002d

 昨年のお盆にマゾフォトを50枚ばかりアップしたのですが、それ以来ですので、トンと勘が効かなくなりまして・・・。


189) 女体悦虐寫眞集 第81・91

 コロナに明けコロナに暮れようとする2020年大晦日となりました。そして明日から改正緊縛美81・91-00C 001著作権法が施行されることになりました。ネットを重点的にとか、いろいろ言われておりますが、あまりにも複雑多岐な内容で、続けていいのかダメなのか? 私、理解できておりません。 
 雑誌「奇譚クラブ」は1975年3月号まで続きました。著作権切れが50年としますと1970年より前の分はOKという事になるんでしょうかね? まあ安全のためにそれよりずっと以前の分をお目にかけて本年の締めくくりといたします。
 と申しましてもずっと以前に掲載済みの10枚なんです。本サイトの51頁に緊縛美のオンパレード81集として掲載しました雲井久子譲と55頁の91集村田那美子嬢の5枚組で、1953年の10と11月号での発売。67年前のものです。
 最近ネットで、割合簡単に入手いたしました。もうこんな写真を欲しがる御仁も亡くなったり現役を引退なさったり・・・・なんですね。私の幼稚園に行くか行かないかぐらいでしょうか。ずいぶんセピア変色した薄い印画で、経年変化が激しいのですが、わりに素直に劣化しておりますので、スキャンすれば蘇ると存じました。でも12年前に掲載した古いスキャンもカラーではありますがナカナカの画質を持っており、今回のがいいかどうか・・・・。
 そうそう、51頁あたりで、表題は「緊縛美のオンパレード」としておりましたが、これは53年9月号で51集から90集までのサムネイル写真が掲載されたときの名前で、実際の発売は時期により適当な名前で売られておりました。つまり100集までの統一した名前は無いんです。この集発売時は「女体悦虐寫眞集」という名称でしたので、それを表題といたしました。


189-1a~e) 81集 雲井久子譲
 この「緊縛美のオンパレード」も、初期はいろんなモデルさんをアソートして、どれを買ってもアタリがあるように混ぜられていたのですが、この時期になりますと1集5枚がテーマ別に集められるようになりました。そこらの事情はサムネイルの前号、8月号で【姿態内容の概略】として掲げられております。5枚組の1枚1枚に名前を付ける煩を避けて同じ状況の5枚を組にしたものとも思われますし、次号でサムネイルを掲載した理由とも考えられます。

緊縛美81-01Cb緊縛美81-01M雲井d

緊縛美81-02Cb緊縛美81-02M雲井d

緊縛美81-03Cb緊縛美81-03M雲井d

緊縛美81-04Cb緊縛美81-04M雲井d

緊縛美81-05Cb緊縛美81-05Md雲井



189-2a~e) 91集 村田那美子嬢
 本サイト134頁に記しましたように、53年10月号の上質紙のページに「野外の責場撮映にて」として撮影記が掲載されています。場所は廿日山古戦場(現在の富田林市錦織公園と言われるが、柏原市かも?)。(ここ間違いです。正しくは廿山と書いて「つづやま」と読みます。富田林市錦織公園に間違いありません)
 当日村田譲が「生理的変調」を来し、途中駅の薬局でバンドを買い、そこのトイレを借りて装着して駆けつけた、と逸話が残っています。その写真5葉です。(下車したのが近鉄滝谷不動駅なら生理バンドを買ったのは、多分富田林駅か古市駅、南海高野線滝谷駅なら狭山駅か北野田駅近くの薬局でしょう。それなら後ろに見える池は赤穂池かな?)
緊縛美91-01Cb緊縛美91-01Md

緊縛美91-02Cb緊縛美91-02Md

緊縛美91-03Cb緊縛美91-03Md

緊縛美91-04Cb緊縛美91-04Md

緊縛美91-05Cb緊縛美91-05Md

 それでは皆様、コロナに負けず、ご健勝・ご多幸で良き新年をお迎えくださいますよう。

134) miss SATOKO KAWABE & miss NAMIKO MURATA / 134) 川辺砂登子 村田那美子

川端嬢ばかりでは退屈ですので、それに続くモデルさんをご紹介します。
 53年9月号、「縛られた女ばかりの座談会」の同席者、厚狭春江、坂口利子、村田那美子、雲井久子、高瀬忍といった面々が、川端嬢と重なりつつ、その直後を引き継ぎます、そして55年の第1期黄金時代には、萩千恵子、川辺砂登子、伊吹真佐子が加わります。
 このページでは、川辺砂登子嬢と村田那美子嬢にスポットを当ててみたいと思います。ちょっと自信がないのは、以上に掲げたモデルさんの中に、顔を充分に撮させなかったかたが居て、モデルの特定に確信を持てないことです。

川邊砂登子01Cb川邊砂登子01Mc134−1) 川辺砂登子の1
 55年4月号のp.240に掲載された写真です。高瀬嬢と川辺嬢は印象が似ているので、掲載されていなかったら特定出来なかったと思います。



川邊砂登子03Cb川邊砂登子03Mc134−2) 川邊砂登子の2
 同号p.238の写真の同時撮影分です。
 グラビアとしては、55年1月号「足首に鎖のある風景」
 着用の衣装は、網レオタードのように見えます。この時代に、貴重なものでは無かったでしょうか?









川邊砂登子04Cb川邊砂登子04Mc134−3) 坂口利子(たおやめ様からのご教示)  
 一応川邊嬢に分類したのですが、自信がありません。このツブツブのある乳輪と左腕の傷。同種の写真が見つかれば簡単なのでしょうが・・・。
 たおやめ様から坂口利子とご教示頂きました。そう言われればたしかにそのように見えます。 有り難うございました。 

川邊砂登子02Cb川邊砂登子02Mc134−4) 川端多奈子?  
 これも別人でしょう。 私見では川端嬢のように思えます。





村田那美子03Cb村田那美子03Mc134−5) 村田那美子 1
 53年10月号の『野外の責場撮映にて』で発表された写真そのものです。辻村−塚本コンビによる作品。場所は富田林市の廿山古戦場(現錦織公園)に間違いありません。
 記事には村田嬢が急に生理的変調を来した事が書いてあり、結果的に当時の珍しい前開き生理帯の写真が残ることになるのです。








村田那美子04Cb村田那美子04Mc134−6) 村田那美子 2















村田那美子05Cb村田那美子05Mc134−7) 村田那美子 3
 これがその生理帯の後ろ姿。前姿は別の場所に掲示しました。













村田那美子06Cb村田那美子06Mc134−8) 村田那美子 4
 この写真も、同号で使用されています。
 この記事は、当時としては珍しく白い良質の紙に印刷されており、綺麗な写真が楽しめるのですが、オリジナルプリントの比ではありません。
 ふくらはぎがちょっと妙に写っています。


村田那美子01Mc村田那美子02Mc134−9,10) 村田那美子 5,6
 村田那美子の野外撮影は、上記廿山古戦場の他に、枚方市河内磐船付近、奈良県の笠置町付近の渓流と、いずれも山中で行われたようです。この2枚は何となく枚方っぽく見えるのですが、もちろん確証はありません。
 あまり褪色していないので、B&Wだけでお見せします。







村田那美子07Mc村田那美子08Mc134−11,12) 村田那美子 7,8 
 一転、室内撮影です。室内の様子と縄掛けから同日撮影分とわかるのですが、ヘアスタイルが随分違って見えます。ミディアムショートとミディアムロングぐらいの違いがあります。











村田那美子09Mc村田那美子10Mc134−13,14) 村田那美子 9,10 
 この2枚も同日写されたものと思います。














村田那美子12Mc134−15) 村田那美子 11 















村田那美子16C?b村田那美子16M?c134−16) 村田那美子 12
 深く猿轡がかかっているので、ちょっと判断しにくいのですが・・・













村田那美子17C?b村田那美子17M?c134−17) 村田那美子 12 
 ここらが、村田嬢なのか萩嬢なのか、見分けがつきません。






村田那美子15C?b村田那美子15M?c134−18) 村田那美子 13 







村田那美子14Mc134−19) 村田那美子 14 







村田那美子13Mc134−20) 村田那美子? 15
 同じ場所に入っていたのですが、より近代的な絵です。村田嬢じゃなくて大塚啓子嬢のように見えます。












125) Sadistic Ladies in the KITAN CLUB II / 125) マゾフォトでのサディスティンⅡ 大塚啓子・山原清子

皆様、新年あけましておめでとうございます。2011年のお正月を寿ぎ、マゾ写真をお届けします。
昨年と同じ書き出しで、またマゾ写真です。昨年が絹川文代嬢でしたので、今年は大塚啓子嬢の勇姿をお目に掛けます。大塚嬢はショートヘアにしてからグッと美人になりました。整形したと推測するかたもいらっしゃる程です。
その美しき大塚嬢20葉からスタートです。



125-01 大塚啓子マゾフォト1125-01) 大塚啓子の1
大塚嬢のマゾフォト出演は、63年5月号の(まそ)『股責の地獄』4枚組が先行しました。
「男の首の上にどっかりとまたがり股で責める大塚啓子嬢の新作をここに分譲品として発表いたします。今回の分はすべて啓子嬢の股の間に挾まれたM男が鼻をあぐらにかかされ、首を両股で力いっぱい締めつけられるなど、大切な男の顔が女の大股によって、さんざんになぶられ辱しめられ、上から侮蔑の目で眺められるといった汚辱ぶりを表しました。御注文の如何では、M物はこれにて一応発表中止します。」 と、何やら心細い解説が付き、通常4枚組でしたら400円のところが500円と割高です。余程売れなかったようです。
そりゃそうでしょうヨ。オッサンの痛がる写真など誰も買おうとしないでしょうから。
ところがこれが発表中止にならなかった。66年の7月に若いM青年を得て、5枚組7組、計35枚が上梓されます。1~20は7月に発表されたものです。
エッ? M青年の名前ですか? 知りませんよ、そんなもの。

125-02 大塚啓子マゾフォト2125-02) 大塚啓子の2
大塚嬢の穿いているパンティーはトリコットのビキニショーツで、101頁で東浦嬢が穿いていたものと同じ、多分赤と黒かと思います。クロッチは前が大きいように見えますが、奇クは時々後ろ前逆に穿かせたりしますので判りません。陰毛隠しに逆に穿かせた可能性が大なのです。
66年7月号の表紙裏に掲載された、(らも)(らき)(らろ)(らに)(らほ)(らへ)(らと)の7集。各5枚組で¥1,000と高価です。

ライブドアが新管理画面に変わり、格段に書き込みが煩雑になりました。コマーシャルは入れやすいのに、罫線も字下げも一々HTML画面を呼び出さねばなりません。改悪以外の何者でもありません。
一度でも新管理画面を試してしまうと、永遠に昔のエディターが使えなくなってしまうようです。投稿が苦痛です。泣きたくなります。

125-03 大塚啓子マゾフォト3125-03) 大塚啓子の3
これらの写真ですが、劣化は少ないのですが、プリントの黒の締まりは良くありません。
ところが、スキャン時にヒストグラム調整の上ガンマをいじってやりますと、かなり良好になります。やや軟調にスキャンして修正の上、最後に引き締めると我ながらほれぼれする調子になります。

いまここでお目に掛けているのは、20枚中大塚嬢が騎乗位になっていない8枚です。解説文も意味不明瞭なら、写真も何をしているところやら判らない。
第一、7組から少しずつ入って20枚なのか、4組が揃って20枚なのかも判らない状態ですが、ここで資料を掲げておかねばならないので、次から書き込みます。

125-04 大塚啓子マゾフォト4125-04) 大塚啓子の4
奇クをお持ちでないかたのために、この7組を順にご紹介します。(各組5枚で1000円)

(らも)『顔面騎乗の女王様』。 「新しく応募してきた若いM青年に対してベテラン啓子が顔面騎乗の放れ業を演じて、いやというほど、その臀羞を嗅がせているところ、マニヤ垂涎のポーズの数々。」

(らき)『奴隷の誓いを誓う』。 「女王様の足下にひれ伏して奴隷としての誓いを必死に申し上げているM青年を傲然と見下して、冷笑を浮かべている肉体美の女性。汚辱と凌辱のムード派に捧げる。」
武士の侍が・・・のようですね。


125-05 大塚啓子マゾフォト5125-05) 大塚啓子の5
(らろ)『ハイヒールの足下』。 「ピカピカと光る黒皮のハイヒールの足下に、鋭いヒールの痛さにおののきなからM青年は女御主人様にいたぶられ足蹴にされる喜びに身をふるわせているのである。」
2,4,7あたりが、ハイヒールで踏まれていますが、これのことかな?


125-06 大塚啓子マゾフォト6125-06) 大塚啓子の6
(らに)『縛られるM青年』。 「縄で縛られて身の自由を奪われることによって、無力化した自分が女御主人のあくなき暴虐の手の中に翻弄され、その意のままになる縛られたM青年のマゾの願望。」

(らほ)『神酒を飲ませる女』。 「畏くも得難い女王様のネクタールを、そのおん自らの手によって賜わることに対して、今やM青年はよよと、感涙にむせびつつ、うやうやしく頂戴するのであった。」
これらしいのはありません。

(らへ)『M青年をいたぶる』。 「経験はありませんが、どんなことでも意のままになすって下さいと志願してきたM青年は、ベテラン女性の柔肌にいたぶられて、今やその芳香に圧倒されるのだ。」そうです。

125-07 大塚啓子マゾフォト7125-07) 大塚啓子の7
(らと)『肩車の下の蠢めく』。 「逞ましく肉の乗った両の太股を首にまわして、裸の尻をでんと首筋にすえて、気弱くもがく男の頭髪をぐいとわしづかみにして、全体重を痩身の青年にかける。」
これは次の12枚にありそうです。以上の7組です。










125-08 大塚啓子マゾフォト8125-08) 大塚啓子の8

















125-09 大塚啓子マゾフォト9125-09) 大塚啓子マゾフォト9
ここらからぼちぼち騎乗位になって参ります。















125-10 大塚啓子マゾフォト10125-10) 大塚啓子マゾフォト10
馬乗り写真は、ここから11枚あるのですが、(らも)(らと)あたりが候補ですが、判別はつきません。














125-11 大塚啓子マゾフォト11125-11) 大塚啓子マゾフォト11

















125-12 大塚啓子マゾフォト12125-12) 大塚啓子マゾフォト12

















125-13 大塚啓子マゾフォト13125-13) 大塚啓子マゾフォト13

















125-14 大塚啓子マゾフォト14125-14) 大塚啓子マゾフォト14

















125-15 大塚啓子マゾフォト15125-15) 大塚啓子マゾフォト15

















125-16 大塚啓子マゾフォト16125-16) 大塚啓子マゾフォト16

















125-17 大塚啓子マゾフォト17125-17) 大塚啓子マゾフォト17

















125-18 大塚啓子マゾフォト18125-18) 大塚啓子マゾフォト18

















125-19 大塚啓子マゾフォト19125-19) 大塚啓子マゾフォト19

















125-20 大塚啓子マゾフォト20125-20) 大塚啓子マゾフォト20
とりあえず、最初に予定していた20枚が終わりました。この写真だけ、マゾ男がオッサンぽく見えるのですが、同じ青年でしょう。














125-21 大塚啓子マゾフォト21125-21) 大塚啓子(らほ)の1 マゾフォト21
コメント3番に書きましたとおり、最初は大塚嬢+M青年20枚に、大塚嬢+山原嬢+M親父12枚の予定でおりましたところ、大塚嬢+M親父10枚が別に出て来まして合計42枚となりました。
山原嬢との協演は最後に回して、新たに出てきた10枚をアップ致します。この中には溲瓶を手にしたものがありますので、これが125-06でご紹介した(らほ)と思われます。







125-22 大塚啓子マゾフォト22125-22) 大塚啓子(らほ)の2 マゾフォト22
マゾに興味のないかたにとっては詰まらない写真が続きますが、これも稀少な資料の一つとご容赦をお願い致します。
パンティーが当時としては珍しいビキニショーツ(スキャンティーという言葉があったかどうか?)となっております。










125-23 大塚啓子マゾフォト23125-23) 大塚啓子(らほ)の3 マゾフォト23
ここではマゾ男も堂々と顔を上げているのですが、125-20までの青年とは違うように見えますがよく分かりません。













125-24 大塚啓子マゾフォト24125-24) 大塚啓子(らほ)の4 マゾフォト24
(らほ)は5枚組ですが、溲瓶を持った写真は以上4枚です。














125-25 大塚啓子マゾフォト25125-25) 大塚啓子マゾフォト25
溲瓶は持っていませんがパンティーは上と同じです。ハイヒールを履いていませんので、多分(らき)かと思います。















125-26 大塚啓子マゾフォト26125-26) 大塚啓子マゾフォト26
ここら3枚が(らき)らしい。同じ月に発売された7組ですが、2回に分けて撮影されたのかも知れません。















125-27 大塚啓子マゾフォト27125-27) 大塚啓子マゾフォト27
以上3枚が一括りです。
















125-28 大塚啓子マゾフォト28125-28) 大塚啓子マゾフォト28
今度は大塚女王様がババシャツを召してます。暖かそうですね。
ナイロン、レーヨン、ポリエステル、ポリウレタンなど、次々に開発される合成繊維を、当時の女性が喜々として受け入れた様子が分かります。
どっちでも良いことですが男性はフンドシですか。









125-29 大塚啓子マゾフォト29125-29) 大塚啓子マゾフォト29
この10枚が4、3、3枚で3組とするなら、最初の20枚は5枚揃いの4組と言うことになります。
7組合計で当時7,000円。これは他の写真の1.7倍です。
昭和41年で初任給どれくらいだったでしょうか? 大卒でも4万円無かったのでは?
今で言うと総額3万5千円。1枚1,000円ですね。
それほどの値打ちがあるかどうかは知りませんが、貴重なマゾ写真の資料であることだけはご理解をお願いします。






125-30 大塚啓子マゾフォト30125-30) 大塚啓子マゾフォト30
たしかに、これら3枚は芳香を嗅がせていると見えますので、(らへ)のように思えます。
大塚啓子嬢のサディスティン写真のご紹介は以上です。













125-31 (まめ)大塚・山原マゾフォト31125-31) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト31
替わって、65年8月号で発表された、大塚・山原がM男を責める写真を御覧に入れます。各12枚8組。計96枚ですが、私は1組12枚しか持っておりません。
多分、略号(まめ)だと思います。組写真のストーリーとしては後からのご紹介になるかと思いますがご容赦下さい。


125-32 (まめ)大塚・山原マゾフォト32125-32) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト32
略号(まめ)『馬を乗り潰す女』、解説「二人の肥った女を背中に乗せてハイハイドウドウ、いくばくもなく男の馬は潰れてしまう。乗り潰された男は、さて、これから勝気な二人の美女から、どのような恥しい仕置を強いられるだろうか。それは面白くてたまらない女達のなぐさみの遊戯であったが、M男にとっては、身も凍るような戦慄的な暴虐であった。」
馬乗りになった写真と、潰れたように見える写真が計12枚ありますので、多分これかなと思っただけで、確証はありません。
なお、山原嬢ご着用の黒のパンティーは、当時の生理帯であり、タグは左前に縫いつけられるもの故、この写真は裏焼き、即ち左右逆と思われます。神経質なかたは左右反転でプリントして下さい。アレッ反転すると次と同じ写真ですか?


125-33 (まめ)大塚・山原マゾフォト33125-33) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト33
昔、ハレンチ学園というマンガがありまして、教師のヒゲゴジラ(本名吉永さゆり)が大勢のハダカの女生徒達に足で踏み付けられるシーンがあったのを思い出しました。
さて、この山原嬢の生理帯ですが、アンネが出たのが61年暮れで、ナプキンは熱狂的に迎えられます。日陰のものを日向に出した、正に革命でした。
しかし、パンネットは、¥150と安価なため売れることは売れましたが、ネットが荒すぎてかゆみが出たり、体型や経血量によってはズレて漏れるなど、欠点も多く、多くの女性は旧来の替えゴム式を使っていたようです。
ナプキン使用のために押さえゴムを廃止した取替ゴムが売られたり、色もスタンダードな黒だけでなく、ピンクやサッシュなどカラフルになり、生地もネット素材など薄くてもホールド感のあるものが出て、65年を迎えます。
でも、山原嬢は黒のリブ柄メリヤスの、いかにも生理帯という感じのする品を召しており、誠に懐かしく感じます。

125-34 (まめ)大塚・山原マゾフォト34125-34) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト34
「40年間お待たせ」し「重苦しいゴムの時代は去」ったと宣伝したのに、ショーツのほうは旧来の形が残ったというのは、日本女性の保守性を示すのではなく、替えゴム式生理バンドが、61年時点で最高の進化を遂げていた事の証なのです。
実際この後、替えゴムが無くなって、ネットやスポンジを貼った防水布の時代になっても、モレない、ムレない、ズレないは永遠の宣伝文句です。
40センチもある大きな不格好なビニール付きのオムツを両面テープで防水布いっぱいに貼りつけ、羽根まで広げて裏で留める現在・・・ムレない筈ないでしょう。
当時カット綿は16センチ×8センチ。それをウーリーナイロンの裏をゴム打ちした替えゴムに装置していたんですね。これですと血液はゴムと直接触れ難いため、悪臭も少なくなります。替えゴムのフチと押さえゴムの張りかたは、永年の職人技でベストバランスされており、伸縮性のショーツ生地と立体裁断により、多少重さは感じますが、脱脂綿を使う生理帯として進化の極限にあったのです。
実際、私が中学生だった頃、女の子がニオイでソレと判ることは、決してありませんでした。どちらが前やら後やら判らないパンネットの方が、余程原始的だったのです。

125-35 (まめ)大塚・山原マゾフォト35125-35) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト35
このあたりから、だんだん馬乗りになって参ります。最初に申し上げましたように、(まめ)といたしますと、写真のご紹介が、解説とは逆の順序になってしまいました。
参考までに、同時発売の他の7組を順次ご紹介して参りましょう。全て大手札12枚組2,000円です。

(まふ)『裸女二人の尻の下』、「Mモデルに志願してきた幸福な男は、豊満な全裸の美女二人から徹底的にいじめられる。逞ましい素肌の脊部が男の頭の上に無遠慮にのっかってくる。華麗なマゾ絵巻が美しいカメラ・アイによってあますところなく捉えられています。どうぞ貴方を、この幸福なM男に入れ替えて、Mの醍醐味を十分に御賞味して下さい。」


125-36 (まめ)大塚・山原マゾフォト36125-36) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト36
(まね)『美女から縛られる』、「暴君と化した二人の逞ましい美女の前に脆いたM男は、必死の抵抗も空しく、縄で厳しく縛られてゆく甘美な過程を連続で狙いをつけてゆきます。後手高手小手に縛りあげられて身動きもできなくなった男に、これから二人のベテラン女性が、さてどのような暴虐のムチを揮うでしようか、詳細は写真によってお楽しみ下さい。」

(まれ)『痛烈ムチのご馳走』、「後手に縛りあげられた男は、二人の裸女にとっては、恰好の弄び者である。二人の美女の手にあるムチや麻縄は、激しいいきおいで男の肌の上で作烈する。忽ち赤いミミズ脹れがふくれ上り、血がにじむ。それでも女達のむごたらしいムチの手に止みそうにもない。やがて男の口からも痛苦とも快味ともいえる呻めきが洩れる。」


125-37 (まめ)大塚・山原マゾフォト37125-37) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト37
(まり)『汚臭と足舐の強制』、「女の肌にじかにつけていたパンティを頭にかぶせられ、口に押し込まれても、縛られている身の男にとっては、どうすることも出来ない。やがて女の足指が無理矢理口へ押し込められる。拒否しょうにも他の一人の女が頭を押さえて逃がさない。二人の女による強制が、いつの間にか男を恍惚たる被虐の花園へさそい込んでしまう。」

(まも)『二女の戯むれと男』、「跪いた男の背中の上には、二疋の美しい蝶々のように戯むれる二人の裸女があった。はじめ男の存在など無視していた二人だったが抱擁に飽きると共に、尻の下にうごめく男をなぶってみようという気持になった。何ごとも易々として従うM男に対して、二人はどのような辱しめを与えるか、写真によってとくとお確め下さい。」


125-38 (まめ)大塚・山原マゾフォト38125-38) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト38
(まむ)『首締めで剌す止め』、「いくら痛めつけても辱しめても喜んでいるM男に対しては、最後の止めとして、逞ましい太股による首締めによって昇天させてやるのが御慈悲である。苦悶にあえぐ口の中には、汚物が、足の指が押し込まれ、男の顔が鼻が、むちゃくちゃにいたぶられつくす。さんざん弄れた男は、遂に精根つき果てて女達の軍門に降るのである。」

(まみ)『二女の臀臭に泣く』、「逞ましくも肉づきのよい二女の臀の下に押し潰された男の顔は、醜くひしやげて、その臀臭をいやというほど嗅がされている。なおそれでも足りないとみた一人は勇ましく放屁を男の顔面にふきかける。今やグロッキーになった男に対して、二女の責めは巧妙なテクニックで男が泣き叫ぶまで更に続行されるのであった。」


125-39 (まめ)大塚・山原マゾフォト39125-39) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト39
以上で8組96枚の写真の解説をご紹介いたしました。















125-40 (まめ)大塚・山原マゾフォト40125-40) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト40

















125-41 (まめ)大塚・山原マゾフォト41125-41) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト41
















125-42 (まめ)大塚・山原マゾフォト42125-42) 大塚啓子・山原清子(まめ)? マゾフォト42
以上で、大塚嬢のサディスティン姿42枚を終えます。









69) 梨花悠紀子供。伝函。疏函,瓩后,瓩法,△

続きです。

E36梨花仰向け囚衣の女69-01) E36 仰向けの囚衣の女
 E組百花撰は1963年の8月号初出。100枚組のうち19枚が梨花嬢の作品で占められています。Z組の70枚中15枚に並んで、大きなウエイトです。
 例によって確たる物的証拠はありませんが、間違いなくE36でしょう。