本来130頁に掲載すべき資料ですがお目に掛けます。
奇譚クラブの写真分譲は51年ごろには始まっていました。当時は奥付のある最終ページに数行、わかるような、分からないような文章で、詳細は曙書房に手紙で問い合わせ、改めて注文しないといけないようなシステムになっていました。
誌面の充実と共に代理部分譲品の宣伝も分かりやすくなって参ります。そこに55年の発禁処分がおこり、天星社による白表紙の時代を迎え、誌面へのグラビアの掲載が制限されます。その不便を生写真の分譲で補おうとしたのでしょう。またKK通信を別途郵送していたノウハウがあったためでしょう、A4二つ折りのカタログが製作されます。
60年代にグラビアが本格的に復活しても、目録は作り続けられ、65年頃まで全部で7種以上あったと考えられます。そのうち所持しております3種をお目に掛けます。
132−1) 56年12月号付録 「天星社代理部分譲品目録」
いきなり最初から大中判(13×18センチ)の広告です。奇クの1頁全面グラビアに匹敵する大きさで、写真によってはどうしてもこの大きさで見せたかったのかも知れません。




132−2) 62年8月号頃 「天星社代理部分譲品総目録 第五号」
最初がバックナンバーの紹介ですので、多分この頃であろうと推定出来ます。








132−3) 「代理部分譲品最新版総目録」
最新版と言われてもいつの最新か分かりません。 緊縛写真グラフ集は59年の出版。印刷の時にあったこれが送付されたときは売り切れになっていた。
また掲載されている写真の発売時期を細かく見ていくと判ると思います。
65年のグラビア廃止の頃ではないかと思います。








奇譚クラブの写真分譲は51年ごろには始まっていました。当時は奥付のある最終ページに数行、わかるような、分からないような文章で、詳細は曙書房に手紙で問い合わせ、改めて注文しないといけないようなシステムになっていました。
誌面の充実と共に代理部分譲品の宣伝も分かりやすくなって参ります。そこに55年の発禁処分がおこり、天星社による白表紙の時代を迎え、誌面へのグラビアの掲載が制限されます。その不便を生写真の分譲で補おうとしたのでしょう。またKK通信を別途郵送していたノウハウがあったためでしょう、A4二つ折りのカタログが製作されます。
60年代にグラビアが本格的に復活しても、目録は作り続けられ、65年頃まで全部で7種以上あったと考えられます。そのうち所持しております3種をお目に掛けます。
132−1) 56年12月号付録 「天星社代理部分譲品目録」
いきなり最初から大中判(13×18センチ)の広告です。奇クの1頁全面グラビアに匹敵する大きさで、写真によってはどうしてもこの大きさで見せたかったのかも知れません。




132−2) 62年8月号頃 「天星社代理部分譲品総目録 第五号」
最初がバックナンバーの紹介ですので、多分この頃であろうと推定出来ます。








132−3) 「代理部分譲品最新版総目録」
最新版と言われてもいつの最新か分かりません。 緊縛写真グラフ集は59年の出版。印刷の時にあったこれが送付されたときは売り切れになっていた。
また掲載されている写真の発売時期を細かく見ていくと判ると思います。
65年のグラビア廃止の頃ではないかと思います。







