奇譚クラブがA5版になり、緊縛写真が大々的に載りだしたのが52年の6月号からです。この当時らしき写真を200枚ばかり持っております。本サイト39頁から掲載した「緊縛美のオンパレード」第六篇51集より前の分と思われます。
「緊縛美のオンパレード」全十篇は、最初52年8月号に「責め女の写真実費分譲」として第三篇までがアナウンスされましたが、同号ですでに第一篇(1〜9集45枚)は分譲中止という、何のために宣伝してるんだか・・・しかも「第一篇は幸いにして大好評を拍し」などと、思わせぶりな、今なら怒られそうな惹き句が付してあります。いったい何枚ぐらい販売して終わったのでしょうか?
先の約200枚は、その多くがこの5篇245枚に含まれるのではないかと想像しているのですが、何分にも資料が皆無で、当時はモデル名すら明らかにされていませんので調べようがなかったのです。
しかし、昭和34年4月に発売された臨時増刊「SADO特集号第2集」に覆面子白頭巾様が「緊縛フォトと緊縛モデル夜話」として、当時の奇クの写真解説をなさっていました。凸版の不鮮明なものから分譲写真の宣伝の張り混ぜ写真まで書いておられ、はっと思いついて、手持ちの写真を照合してみました。すると何枚か符合するものが見られました。このページでは、その写真を中心に何枚かをご紹介致します。
なお、この作業中、67頁の『急襲』の最後の1枚らしき写真が出て参りましたので、同ページに追加しました。
118−1) 52年7月『美しき苦悶』の1 立花郁子


だいたい、52年の7月号のどこに写真のページがあるんだ、と仰有られるかも知れませんが、おもて表紙の裏側、表2というヤツですね、そこが見開きになってまして、「美しき苦悶」と題して張り混ぜ写真が出ています。その左ページの真ん中左端がこの写真の上半身です。
Cheep様からコメントを戴きましたが、年代的にもおっぱいの形でも、仰せの通り立花郁子嬢に間違いないと思います。
52年新年号、『新春湯浴』の3モデル中、右側のモデルがこのかたかもしれません。またこの号には草むらの中で撮影された写真が、黒白とカラーで掲載されていますが、もう一つ関連性が掴めません。
118−2) 52年7月『美しき苦悶』の2


同じく左側ページの上真ん中の写真です。6×6で撮っていますので、角度を変えてトリミングするのはお手のもの。
モデルが誰かという話ですが、分からないながら、候補として上がる名前は、中林カオル、立花郁子、あと南泰子と呼ばれる座談会を欠席したモデルさん。でもこれがその人の写真と言えるものがありませんし、活躍年代の差もあり、特定出来ません。
実は私の所持しておりますこの当時の奇クに、写真ページを切り取った不完全本がいくつかあり、自信が持てないこともあります。それを補うために、くろねこ様のサイトに大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。
118−3) 52年7月『美しき苦悶』の3

この写真は、7月号にはないようですが、上と同時に撮影されたものに違いありません。このような写真が8月からアナウンスされる『責め女の写真実費分譲』の第一〜三篇あたりの中心になっていたことは疑う余地のないことでしょう。
118−4) 52年7月『美しき苦悶』の4

これも同様です。奇クの51年11月号〜52年4月号まで、別冊の魅惑を含めて7冊調査しましたが、そのなかのヌード写真に、このモデルさんのクルンとしたオッパイが見受けられるように思います。ちなみに12月号では『狙われた犠牲』『縛られた娘たち』と題して緊縛写真っぽいものが載っております。
118−5) 52年7月『美しき苦悶』の5

左ページ左下隅の写真です。以上の3枚を7月号で見つけることが出来ました。
118−6) 上記の類似作品

118−5と同じ場所で多分同時に撮影されたものと愚考します。ただ、立花嬢とおぼしきモデルさんのオッパイが小さく見えることから、Cheep様仰有る54年10月号の「モデル女のまぞひずむ」文中の、51年7月撮影分だったのかも知れません。
118−7) 52年8月号『緊縛美の断片』の1


すみません。99ページの1でお見せした写真と同じです。52年8月号の『緊縛美の断片』の左上にありました。このモデルさんの写真は25枚以上持っております。尖った乳房が特徴で、この当時としては珍しく堂々と正面を向いて顔を出していられます。
154頁にこのモデルさんの写真を掲載しております。
118−8) 52年8月号『縛られたる女』の1


同じ見開き右側の中央。ほぼ90度回転した状態で胸から脚が使われています。
118−9) 52年8月号『縛られたる女』の2

むしろこれが本命? 『縛られたる女』のメイン写真全身像です。SADO特集第2集の71頁に「このモデルは急場の間に合わせで頼んだ」とあります。
しかし、急場の間に合わせのモデルさんが、こんなに堂々と顔を出されるでしょうか? この特徴的なフローリングと敷物の上という二種の状態で25枚以上の写真を私に残されているところを見ても、この方が中林カオルさんなのではないかと思っていますが、大胆すぎる推論でしょうか? このモデルさんの他の写真のご紹介はページを改めて行いたいと思います。
118−10) 52年9月号『緊縛の美女』の1 川端多奈子

Sado特集2集P.72によりますと、この年6月号から8月号までに6人のモデルが登場とのことですが特定はおろか、6人を数えることすら出来ません。
そしてこの写真、9月号の57頁と61頁が川端多奈子嬢のデビューとされています。川端嬢の写真は、今まで58頁迄の『緊縛美のオンパレード』などでご紹介済みのものを除いても、まだ100枚以上残っておりますが、まずは掲載されたものをご紹介しましょう。
118−11) 52年9月号『緊縛の美女』の2 川端多奈子

これが61頁のものです。両ページとも記事中の凸版印刷で不鮮明なものです。上質紙にグラビヤ印刷で無いところでデビューした川端嬢が、あれだけの数の作品を残すとは、編集者もこの時点で考えていなかったのではないでしょうか?
118−12) 52年10月号P111『腰のエロス』 川端多奈子

ここから年末までの写真は全て川端多奈子嬢だそうです。正に川端嬢のオンパレードですね。川端嬢はモデルをしつつマゾに開眼しその有様を奇ク誌上に投稿なさいました。それがKK通信など読者欄で評判を生み、一躍人気モデルとなられたようです。
118−13) 52年10月号P112『縛られた女』の1 川端多奈子

右側ページの一番目立つ全身写真がこれです。
118−14) 52年10月号P112『縛られた女』の2 川端多奈子

左下の写真です。
118−15) 52年10月号P112『縛られた女』の3 川端多奈子

下部中央の写真です。
118−16) 52年10月号P113『縛られた女』の4 川端多奈子

左側ページ下の写真です。
118−17) 52年10月号表3『緊縛の美』 川端多奈子



118−18) 52年11月号表3『緊縛の受難』 川端多奈子



118−19) 52年12月号表3『縛られた女』 川端多奈子


これで奇ク1952年後半期に掲載された実物写真はおしまいです。
これからしばらくはもう少し新しいものをアップしたいと思っています。
でも52年に頒布された写真がまだ150枚ほど残っています。その中には、このページの3や4のように、掲載写真と同時に撮影されたものが多数あるようです。このページの写真は52年のいわばオーセンティックですので、次にこの年代に戻ってきたときには、必ずこのページを参照することになろうと思います。
「緊縛美のオンパレード」全十篇は、最初52年8月号に「責め女の写真実費分譲」として第三篇までがアナウンスされましたが、同号ですでに第一篇(1〜9集45枚)は分譲中止という、何のために宣伝してるんだか・・・しかも「第一篇は幸いにして大好評を拍し」などと、思わせぶりな、今なら怒られそうな惹き句が付してあります。いったい何枚ぐらい販売して終わったのでしょうか?
先の約200枚は、その多くがこの5篇245枚に含まれるのではないかと想像しているのですが、何分にも資料が皆無で、当時はモデル名すら明らかにされていませんので調べようがなかったのです。
しかし、昭和34年4月に発売された臨時増刊「SADO特集号第2集」に覆面子白頭巾様が「緊縛フォトと緊縛モデル夜話」として、当時の奇クの写真解説をなさっていました。凸版の不鮮明なものから分譲写真の宣伝の張り混ぜ写真まで書いておられ、はっと思いついて、手持ちの写真を照合してみました。すると何枚か符合するものが見られました。このページでは、その写真を中心に何枚かをご紹介致します。
なお、この作業中、67頁の『急襲』の最後の1枚らしき写真が出て参りましたので、同ページに追加しました。
118−1) 52年7月『美しき苦悶』の1 立花郁子


だいたい、52年の7月号のどこに写真のページがあるんだ、と仰有られるかも知れませんが、おもて表紙の裏側、表2というヤツですね、そこが見開きになってまして、「美しき苦悶」と題して張り混ぜ写真が出ています。その左ページの真ん中左端がこの写真の上半身です。Cheep様からコメントを戴きましたが、年代的にもおっぱいの形でも、仰せの通り立花郁子嬢に間違いないと思います。
52年新年号、『新春湯浴』の3モデル中、右側のモデルがこのかたかもしれません。またこの号には草むらの中で撮影された写真が、黒白とカラーで掲載されていますが、もう一つ関連性が掴めません。
118−2) 52年7月『美しき苦悶』の2


同じく左側ページの上真ん中の写真です。6×6で撮っていますので、角度を変えてトリミングするのはお手のもの。モデルが誰かという話ですが、分からないながら、候補として上がる名前は、中林カオル、立花郁子、あと南泰子と呼ばれる座談会を欠席したモデルさん。でもこれがその人の写真と言えるものがありませんし、活躍年代の差もあり、特定出来ません。
実は私の所持しておりますこの当時の奇クに、写真ページを切り取った不完全本がいくつかあり、自信が持てないこともあります。それを補うために、くろねこ様のサイトに大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。
118−3) 52年7月『美しき苦悶』の3

この写真は、7月号にはないようですが、上と同時に撮影されたものに違いありません。このような写真が8月からアナウンスされる『責め女の写真実費分譲』の第一〜三篇あたりの中心になっていたことは疑う余地のないことでしょう。118−4) 52年7月『美しき苦悶』の4

これも同様です。奇クの51年11月号〜52年4月号まで、別冊の魅惑を含めて7冊調査しましたが、そのなかのヌード写真に、このモデルさんのクルンとしたオッパイが見受けられるように思います。ちなみに12月号では『狙われた犠牲』『縛られた娘たち』と題して緊縛写真っぽいものが載っております。118−5) 52年7月『美しき苦悶』の5

左ページ左下隅の写真です。以上の3枚を7月号で見つけることが出来ました。118−6) 上記の類似作品

118−5と同じ場所で多分同時に撮影されたものと愚考します。ただ、立花嬢とおぼしきモデルさんのオッパイが小さく見えることから、Cheep様仰有る54年10月号の「モデル女のまぞひずむ」文中の、51年7月撮影分だったのかも知れません。118−7) 52年8月号『緊縛美の断片』の1


すみません。99ページの1でお見せした写真と同じです。52年8月号の『緊縛美の断片』の左上にありました。このモデルさんの写真は25枚以上持っております。尖った乳房が特徴で、この当時としては珍しく堂々と正面を向いて顔を出していられます。154頁にこのモデルさんの写真を掲載しております。
118−8) 52年8月号『縛られたる女』の1


同じ見開き右側の中央。ほぼ90度回転した状態で胸から脚が使われています。118−9) 52年8月号『縛られたる女』の2

むしろこれが本命? 『縛られたる女』のメイン写真全身像です。SADO特集第2集の71頁に「このモデルは急場の間に合わせで頼んだ」とあります。しかし、急場の間に合わせのモデルさんが、こんなに堂々と顔を出されるでしょうか? この特徴的なフローリングと敷物の上という二種の状態で25枚以上の写真を私に残されているところを見ても、この方が中林カオルさんなのではないかと思っていますが、大胆すぎる推論でしょうか? このモデルさんの他の写真のご紹介はページを改めて行いたいと思います。
118−10) 52年9月号『緊縛の美女』の1 川端多奈子

Sado特集2集P.72によりますと、この年6月号から8月号までに6人のモデルが登場とのことですが特定はおろか、6人を数えることすら出来ません。そしてこの写真、9月号の57頁と61頁が川端多奈子嬢のデビューとされています。川端嬢の写真は、今まで58頁迄の『緊縛美のオンパレード』などでご紹介済みのものを除いても、まだ100枚以上残っておりますが、まずは掲載されたものをご紹介しましょう。
118−11) 52年9月号『緊縛の美女』の2 川端多奈子

これが61頁のものです。両ページとも記事中の凸版印刷で不鮮明なものです。上質紙にグラビヤ印刷で無いところでデビューした川端嬢が、あれだけの数の作品を残すとは、編集者もこの時点で考えていなかったのではないでしょうか?118−12) 52年10月号P111『腰のエロス』 川端多奈子

ここから年末までの写真は全て川端多奈子嬢だそうです。正に川端嬢のオンパレードですね。川端嬢はモデルをしつつマゾに開眼しその有様を奇ク誌上に投稿なさいました。それがKK通信など読者欄で評判を生み、一躍人気モデルとなられたようです。118−13) 52年10月号P112『縛られた女』の1 川端多奈子

右側ページの一番目立つ全身写真がこれです。118−14) 52年10月号P112『縛られた女』の2 川端多奈子

左下の写真です。118−15) 52年10月号P112『縛られた女』の3 川端多奈子

下部中央の写真です。118−16) 52年10月号P113『縛られた女』の4 川端多奈子

左側ページ下の写真です。118−17) 52年10月号表3『緊縛の美』 川端多奈子



118−18) 52年11月号表3『緊縛の受難』 川端多奈子



118−19) 52年12月号表3『縛られた女』 川端多奈子


これで奇ク1952年後半期に掲載された実物写真はおしまいです。これからしばらくはもう少し新しいものをアップしたいと思っています。
でも52年に頒布された写真がまだ150枚ほど残っています。その中には、このページの3や4のように、掲載写真と同時に撮影されたものが多数あるようです。このページの写真は52年のいわばオーセンティックですので、次にこの年代に戻ってきたときには、必ずこのページを参照することになろうと思います。