くろねこ様のサイト『懐かしき奇譚クラブ』で、KK通信の話題が出ましたので、第3号から13号までをお目に掛けます。
私は写真特定の資料として第3号から全て持っておりますので、スキャンしてそちらのサイトにアップするつもりでした。ところがJPGでは、以前くろねこ様に教えて戴いた方法で画像圧縮しても、どうしても600KBを切ることが出来ない。FC2BBSの画像投稿は500KBまでですので、やむなくこちらのページを使ってお目に掛ける次第です。
くろねこさんのサイト http://nawa-art.com/index.html に掲載して頂くための画像送信の用途で、このページをつくりました。用が終われば消去して、奇譚クラブの別冊分譲写真目録をここに掲載するつもりでした。しかし、そうすると、付した文章や、コメントまで意味をなさなくなります。誠に勝手ながらこのページはこのままに置き新ページに目録を掲載することにします。
なお、130B)は特にコメントも戴いておりませんので消去しました。
130-1) KK通信第3号
KK通信がどのような意図を持って刊行されたかは良く分かりません。
52年(昭和27年)10月号に、『K・K 通信 発送開始!』として、「本誌愛読者を中心とした楽しいグループの肩の凝らない自由な集いのパンフレットとしてKK通信を始めました。(後略)」とあります。
同11月号も『発送開始!』。12月号では『大好評・増頁断行』とあります。
そして、この第3号は『奇譚クラブ第6巻第12号附録』と発行タイトルにあります。付録という以上、この号だけは12月号に挟み込まれて売られたのでしょうか? 分譲写真目録では56年12月号でそんな例がありました。
本紙はB4版に4頁割付の新聞形式になっております。第1・2号を見たことはありませんが、多分B5のペラだったと想像出来ます。申し遅れましたが、1頁の正確なサイズはタテヨコ260弌滷隠牽賢个如B5版より一回り大きくなっております。




130-2) KK通信第4号
発行タイトルに附録の文字はありませんが、2〜4頁の上方に(附録)の文字が見えます。別冊附録の形で53年1月号に挟み込まれたのか、申し込んだ人だけに郵送されたのかわかりません。
1頁のサイズは270弌滷隠牽記个函△気蕕烹贈気茲蠡腓くなっています。本紙のほうは26年6月号からA5ですので、どうしてこんな大きさにしたのでしょうか? 印刷所のほうで1年前のB規格の紙が余っていて、それを使って印刷したのでしょうか? 当時紙は配給制か何かで貴重品だったと思いますので。




130-3) KK通信第5号
この号から、(附録)の文字が抜けて、代わりに『昭和二十八年二月一日発行 1部 定価二十円』の文字が入っています。
タイトルに『第5号』の文字が入り、単独の雑誌(紙?)の躰をなしています。
ここで一つ疑問があります。発行所所在地の「堺局区内菅原通四」も、後の天星社の「阿倍野区清明通」も当時有数の高級住宅地なんです。菅原通は別荘地でもあった浜寺からずっと続く高級住宅地。清明通は言わずと知れた帝塚山、北畠地区の、大阪市内最高級住宅地です。
失礼ながらこの手の雑誌の発行所としてはそぐわない気がいたします。何か理由があるのだと思います。




130-4) KK通信第6号
53年3月号となる第6号。これよりペラ2枚。8頁仕立てになりました。








130-5) KK通信第7号
53年4月号にあたります。








130-6) KK通信第8号
53年5月号にあたります。第9号からはこのさらに半分(B6ノビ)のサイズになります。








130-7) KK通信第9号
第9号から1頁がB6版になりました。見開きできちんとB5版です。
省力化のために、見開きでスキャン致します。最初が1と16頁。次が15頁と2頁。という具合で8頁と9頁が最後です。








130-8) KK通信第10号








私は写真特定の資料として第3号から全て持っておりますので、スキャンしてそちらのサイトにアップするつもりでした。ところがJPGでは、以前くろねこ様に教えて戴いた方法で画像圧縮しても、どうしても600KBを切ることが出来ない。FC2BBSの画像投稿は500KBまでですので、やむなくこちらのページを使ってお目に掛ける次第です。
くろねこさんのサイト http://nawa-art.com/index.html に掲載して頂くための画像送信の用途で、このページをつくりました。用が終われば消去して、奇譚クラブの別冊分譲写真目録をここに掲載するつもりでした。しかし、そうすると、付した文章や、コメントまで意味をなさなくなります。誠に勝手ながらこのページはこのままに置き新ページに目録を掲載することにします。
なお、130B)は特にコメントも戴いておりませんので消去しました。
130-1) KK通信第3号
KK通信がどのような意図を持って刊行されたかは良く分かりません。
52年(昭和27年)10月号に、『K・K 通信 発送開始!』として、「本誌愛読者を中心とした楽しいグループの肩の凝らない自由な集いのパンフレットとしてKK通信を始めました。(後略)」とあります。
同11月号も『発送開始!』。12月号では『大好評・増頁断行』とあります。
そして、この第3号は『奇譚クラブ第6巻第12号附録』と発行タイトルにあります。付録という以上、この号だけは12月号に挟み込まれて売られたのでしょうか? 分譲写真目録では56年12月号でそんな例がありました。
本紙はB4版に4頁割付の新聞形式になっております。第1・2号を見たことはありませんが、多分B5のペラだったと想像出来ます。申し遅れましたが、1頁の正確なサイズはタテヨコ260弌滷隠牽賢个如B5版より一回り大きくなっております。




130-2) KK通信第4号
発行タイトルに附録の文字はありませんが、2〜4頁の上方に(附録)の文字が見えます。別冊附録の形で53年1月号に挟み込まれたのか、申し込んだ人だけに郵送されたのかわかりません。
1頁のサイズは270弌滷隠牽記个函△気蕕烹贈気茲蠡腓くなっています。本紙のほうは26年6月号からA5ですので、どうしてこんな大きさにしたのでしょうか? 印刷所のほうで1年前のB規格の紙が余っていて、それを使って印刷したのでしょうか? 当時紙は配給制か何かで貴重品だったと思いますので。




130-3) KK通信第5号
この号から、(附録)の文字が抜けて、代わりに『昭和二十八年二月一日発行 1部 定価二十円』の文字が入っています。
タイトルに『第5号』の文字が入り、単独の雑誌(紙?)の躰をなしています。
ここで一つ疑問があります。発行所所在地の「堺局区内菅原通四」も、後の天星社の「阿倍野区清明通」も当時有数の高級住宅地なんです。菅原通は別荘地でもあった浜寺からずっと続く高級住宅地。清明通は言わずと知れた帝塚山、北畠地区の、大阪市内最高級住宅地です。
失礼ながらこの手の雑誌の発行所としてはそぐわない気がいたします。何か理由があるのだと思います。




130-4) KK通信第6号
53年3月号となる第6号。これよりペラ2枚。8頁仕立てになりました。








130-5) KK通信第7号
53年4月号にあたります。








130-6) KK通信第8号
53年5月号にあたります。第9号からはこのさらに半分(B6ノビ)のサイズになります。








130-7) KK通信第9号
第9号から1頁がB6版になりました。見開きできちんとB5版です。
省力化のために、見開きでスキャン致します。最初が1と16頁。次が15頁と2頁。という具合で8頁と9頁が最後です。








130-8) KK通信第10号







